緊急着陸を妨害したのは誰?〜日航123便墜落事件の闇(7)〜
2024/08/12
墜落事件後、マスコミは「日航123便は迷走して御巣鷹山に墜落した」と喧伝していました。でも、「横田管制が米軍横田基地への着陸を許可していた」ことを知って飛行経路図を見ると、迷走ではなく、日航機の機長や副操縦士は意図をもって操縦していたことが分かります。「横田管制が米軍横田基地への着陸を許可していた」のに、なぜ着陸せずに北西に向かうことになったのか、音声記録を参照しながら考えていきたいと思います。ただし、「(5)音声記録」でご紹介した通り、日航123便の音声記録(*1)の「テープ起こし」は改竄されたり削除されたりしている部分があるため、推測部分はオレンジ色で提示します。
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日航123便は、18時24分の異常事態発生で「垂直尾翼」が破損し、油圧系統が全く効かない状態でしたが、4つのエンジンの出力調整や電動で動かせる部位の操作で、なんとか操縦が出来ていたことが分かっています。フライトレコーダー(デジタル飛行データ記録装置:DFDR)によると、18時24分から18時40分までは高度20000〜25000フィートの間で上下しながらもほぼ水平飛行していました(高度7000m前後)。
アントヌッチ氏の手記によると、米軍横田基地の横田管制は「スコーク77(国際救難信号)」を出している日航123便に対して、横田基地への着陸を許可しました。横田基地は滑走路の長さ3350m、幅60m、前後のオーバーラン300mの空軍基地です。緊急事態のジャンボジェット機が緊急着陸するのに、関東でこれ以上の空港はありません。
日航123便は18時40分に大月市の上空(高度約6800m)に到達し、旋回しながら高度を見事に下げて、その先にある横田基地へ向かっています。旋回して高度を下げると横田管制空域(上図参照)に進入することになるため、日航機長は横田基地へ向かいながら横田管制と交信していたと考えられます(音声記録の「テープ起こし」には日航123便と横田管制との交信記録は記載されておらず、削除されたか隠されていると思われます)。
そして、18時46分に日航機長は日本語で誰かに「このままでお願いします」「このままでお願いします」と2回言っています(*1)。誰かの日本語での返答は音声記録の「テープ起こし」には記載されていません(これも削除されたか、隠されていると考えられます)。「このままでお願いします」というのは、高度を2000m位まで下げていって横田基地にかなり近づいた地点での日航機長の発言なので、「このまま横田基地に着陸させて下さい。お願いします」という意味であったと考えられます。日本語でお願いしているので、相手が日本人であることは確かです。しかし、その相手は断固として横田基地への緊急着陸を許さなかったと考えられます。日航機長が日本語でお願いした相手は日航123便を追尾していたファントムの可能性がありますが、日本語で交信した相手側の応答は音声記録の「テープ起こし」に記録されておらず、削除されたか隠されたかしていると考えられます。
日航機長は18時46分に「このままでお願いします」「このままでお願いします」と2回言った後、(相手の日本人の返答を聞いて)「これはだめかもわからんね」と発言しています。一方、横田基地の管制官は18時45分〜55分の11分間に日航123便に11回無線で呼びかけていますが、横田基地への着陸を「日本人の交信相手」に阻止され横田管制との交信も禁止された日航機長は横田基地への返答をしていません。横田管制から見ると、緊急着陸を許可した日航123便が右旋回して北から滑走路へ進入するのを中止して、北西へ進路を変更して遠ざかって行くし、呼びかけにも応答しなくなるし、どういうことか理解できず、何度も何度も呼びかけたのではないでしょうか。
でも、横田管制は米軍の施設ですから、レーダー設備等も完備です。日航123便の後から自衛隊のファントム2機が追いかけていたら、それを見逃す筈はありません。横田管制では日航123便の機影がレーダーから消えたことが分かり、上空で旋回待機させていた横田基地所属のC130H輸送機に日航123便の墜落現場を捜索させ、日本側に墜落場所を通知します。そして、座間基地の米軍ヘリUH1を墜落現場へ派遣して、米兵のホイスト降下を始めます。でも、日本側から「後は日本側がやるから」と言われて、輸送機も米軍ヘリも引き上げます。米軍の首脳部は、現場の状況と日本側の通信傍受などによって、自衛隊が日航123便に対して何をしたのかを知ったと考えられます。
横田基地に緊急着陸できていたら、乗客乗員の多くが命を落とさずにすんだ可能性が高いので、本当に残念です。「日本人の交信相手」がどのようにして緊急着陸を阻止したのか、音声記録の原本をきちんと解析する必要があると思われます。
(1)〜(7)で見てきたように、日航123便の垂直尾翼はミサイルまたは人工的な飛翔物で破壊されて脱落した可能性が高く、事件当日に相模湾でミサイルや模擬標的機を飛ばして「公試」をしていた海上自衛艦のミスだったという状況証拠があります。
18時24分の異常事態発生・衝撃音発生後すぐに日航機長と副操縦士が「スコーク77(国際救難信号)」を発したので、自衛隊はファントムを偵察に出した可能性がありますが、公式記録には記載されていません。
日航機は高度を順調に下げ、着陸許可を受けた横田基地へ向かいましたが、日本人の誰かに日本語で着陸を阻止され(おそらくファントム機)、北西へ向かいます。そして、高度10000フィート(約3050m)を航行中に、ミサイルのような物によって日航機の「第4エンジン」と「水平尾翼」は破壊脱落し、それらを失った日航機は約1500m急落下して45秒後に御巣鷹の尾根に墜落しました(18時56分)。
墜落後、自衛隊のファントム機が19時21分に炎を確認し、防衛庁ヘリコプターが20時42分には現場上空に到着したのに、1晩中「墜落場所不明」として翌朝に「墜落現場を発見」したと公表しました。自衛隊が墜落現場を知りながら、生存者の救助活動を1晩しなかったことは自衛隊の関与を証明する物体を隠匿するためだったとも考えられます。
自衛隊は大部隊を派遣しながら1人の生存者も発見せずに「全員死亡、遺体収容」を宣言しました(その後に、地元の消防団メンバーなどが生存者4名を発見しました)。このような経緯から日航123便墜落事件には自衛隊の関与が強く疑われます。
以上、日航123便の墜落事件の背後には大きな秘密があることを読者の皆様にもお分かりいただけましたでしょうか。日航機墜落事件から既に39年が経ってしまいましたが、今からでも真相を明らかにすることが必要だと思われます。(IZ)
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出典
(*1) 国土交通省:航空事故調査報告書(昭和62年(1987年)6月19日) p309〜p343
https://www.mlit.go.jp/jtsb/aircraft/download/62-2-JA8119-11.pdf
https://www.mlit.go.jp/jtsb/aircraft/rep-acci/62-2-JA8119.pdf