みどりさんのヴァイオリン

.opinion music

大阪でみどりさんのヴァイオリンを聴いた後、同じ演奏を聴いた京都の友人夫妻と一緒に馴染みのイル・カント・デルマッジョ(京都)へ。素敵な音楽の後に美味しい食事と楽しい語らい・・・とくればワインも進むというもの。少し飲み過ぎてしまいました。その時の話題の1つが、みどりさんのヴァイオリン。

・・・

楽しい食事中にみどりさんの楽器が話題になり、今はストラディヴァリウスではなくグァルネリ(・デル・ジェス)をひいている、というのは意見一致したものの、購入した品だ、いや終身貸与品だ、と意見が分かれました。後で調べてみると、以前は終身貸与品だったけれど、事情があって購入したとのこと。その経緯は複雑です。

今回みどりさんが40周年記念誌を出版したことで、私には曖昧だった話の決着が付きました。わかったのは、みどりさんが使ったことがあるグァルネリ・デル・ジェスは二つ、ストラディヴァリウスは1つ。そして、現在使っているデル・ジュス「エクス・フーベルマン」はやっとの思いで買い取ったものだということが40周年記念誌の本人の話から分かりました。

みどりさんの最初のデル・ジェスは、1985年(13歳〜14歳)にシカゴの有志者から無償貸与されたデル・ジュス「エクス・ダヴィッド」。弦が切れるというハプニングが2回あったのに楽団員から楽器を借りて合計3台のヴァイオリンで難曲の演奏を完遂したタングルウッド音楽祭(1986年)。そこでみどりさんが最初に使用していたヴァイオリンがこのデル・ジュス「エクス・ダヴィッド」です。

本人はこのデル・ジェスを「タングルウッドの奇跡ちゃん」と呼び、その後、20年ローンを組んで購入。ところが、この楽器は当時のみどりさんの体格に合った小振りのものだったので、本人の体格が大きくなるにつれてフルサイズのヴァイオリンが必要になりました。

困っていた時に救いの手を差し伸べてくれたのが、林原健氏(元林原社長 2020年死去)。林原氏の奥様がヴァイオリンをひく方で、みどりさんのお母さんと大学時代の同級生だったご縁もあり、1992年に株式会社林原がみどりさんにストラディヴァリウス「ジュピター」を終身貸与すると発表。

でも、そのストラディヴァリウス。素晴らしい音色だったけれど、みどりさんは腱鞘炎になったりして、練習方法を変えても「同朋になれず」。その後、みどりさんはグァルネリ・デル・ジュスが作った「エクス・フーベルマン」に巡り合って、終身貸与品をストラディヴァリウスからデル・ジェス「エクス・フーベルマン」に変更してもらうことになりました。これこそ同胞という楽器を生涯使えることになって、どれほど嬉しく安心されたことでしょう。

ここでハッピーエンドになれば良かったのですが、スポンサーだった林原健氏の会社が2011年に会社更生法を申請。みどりさんの「エクス・フーベルマン」も売却される運命に陥ってしまいます。

みどりさんはやっと巡り会った運命の楽器を手元に置くために、小振りの「エクス・ダヴィッド」の売り先を必死で探し、五嶋家のお金をかき集め、事務所にも借金して何とか辛うじて「エクス・フーベルマン」を買い取ったとのこと。この時の「恐怖や苦労が無かったら音楽の優しさを知ることはもっと後になったでしょう」というのは彼女の弁。

彼女はもともと質素な生活でふだんの移動も公共交通機関が多く、稼いだお金は音楽活動や後進の育成に費やす人ですから、超高額なお金の工面は人一倍の苦労だったに違いありません。でも、そういう苦労をしても淡々としているところが彼女の凄いところでしょうか。(以上、出典は20周年記念誌と40周年記念誌)

(追記)久しぶりのイル・カントにはAvalonのスピーカーが鎮座していました。田村シェフ曰く家から持ってきたとのこと。噂に聞く銘スピーカーにびっくり。私たち四人がみどりさんのコンサートの帰りだと聞いたシェフが食事の途中で「チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲ニ長調 op.35」の入ったレコードをさりげなくかけたのは粋な演出でしたね~。