モノのこわさ

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4 地球の歩き方 By Train フランス鉄道の旅 (地球の歩き方BY TRAIN)今秋フランスの田舎方面へ旅行しようと企て、宿やレストランや交通手段をあれこれ検討中。レストランやホテルは何とかとれましたが、その町にはタクシーが何台あってホンマに拾えるのか、拾えなかったらどうする?、宿へちゃんと到着できるのか、あるいは田舎鉄道の予約は大丈夫か等…と細かいことが気になって仕方がありません。自分自身こんなに過度の心配性なのかと思うも、昔はそれほどでもなかったのになぁ。今になってなぜ? 浮かび上がってきたのは…。

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新婚旅行はオーストリア。この時は往復のエアーチケットのみで後はすべて現地調達。つまり、宿や交通手段は当地で全部自分で手配しました。宿は観光インフォメーションで紹介してもらい、鉄道のチケットは現地の駅で買ったもの。当時は格安航空券というのがまだ珍しい時代で、小さな小さな旅行代理店での発券に手間取りましたが、それはそれで楽しい思い出。

22年前に仕事にヨーロッパを徘徊した時だって、相手からアポイントをとって拠点拠点のホテルを決めただけで飛んでいきました。おまけにアポイントを断られたのに追っかけで近くの町まで出かけ、会えるまでしぶとく粘ったのもあり、今から考えるとかなり無謀な旅程でした。一方、列車はユーレイルパス買って現地で指定席や寝台車とり。おかげで各国の鉄道事情も理解できました。日本への小包を送る手続きなんか国毎にかなり違っていて、それだけでも原稿が書けそうなくらい苦労しましたが、こちらも何とかクリア。

90年代に何度か外国へ遊びに行った時には、英語とフランス語を織り交ぜながら3つ星レストランへ予約を入れたりもしました。emailなんてものがまだ一般的ではなかった時代、手紙やファクシミリでのやり取りで時間がかかりましたが、これもまたイイ思い出。

そうやって楽しみながら、ハードルを乗り越えてきたはずなのに今回の旅行はまるで心配性の固まり。なぜ?あれこれ考えると、いくつかわかってきたことがあります。

まず、状況が昔よりも見えるようになったこと。昔は知識がなかったり、調査能力が足りなかったせいで、自分の置かれている状況の危うさをあまり理解していませんでした。だからこそ強気になれたという事情がありそうです。

今はどうか。インターネット等を活用した大量な情報が手に入ることで知識がついてしまい、状況が「読める」ようになり、以前より余計なことを考えてしまいがち。これはこれで有用なことなのかもしれませんが、先読みできないのを楽しむということに対し、後ろ向きになってしまいます。

また、知らず知らず失敗したくないという消極的な気持ちが出てきたこと。これは厄介。昔は何とかなるだろうという勝手な期待感とか、失敗しても次があるさ等という気持ちがありましたが、年をとったせいか大きな病気をしたせいか、失敗するのがこわくなってしまった。これはアウト。

年を重ね、それなりに経験を積んだのだから、この先どうでもいいのだと思えば良いのに、悟りがないというか諦めが悪いというのか。小欲に囚われていては大きな得は得られませぬ(これは相場でも同じ)。いずれにしても後ろ向きは自滅の兆候ですね。

そして最後に元来の心配性。起こり得る可能性を列挙して、それに対処しようと考えるクセみたいなものはどうしようもありません。まぁ、それはそれとして、……

要するに、昔はモノを知らないが故にコワサを感じていなかった、これではないか。経験を積むことでモノのこわさも知るようになって、無計画で無謀なことに対するブレーキがかかるようになったのかもしれません。これが「大人になった」というのであれば、かなり「遅れた大人」ですね>私。

とここまで自己分析してきて、少し安心しました。もともと心配性気味なのだから、大量情報に引っ張り回されるのは良くない良くない。先読みできない状況こそ楽しいのだと思うべし>自分。ということで、この稿も備忘録か(苦笑)。