水俣病

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私がお薦めしたい本の、その第一番目はこの『水俣病』です。
著者:原田正純 岩波新書 1972.11.22
公害とか環境問題を考えようという人には必読本。私自身にとっても忘れられない本です。


 1975年に大学に入り、大気汚染の勉強でもしようかと思っていた私に、同級生のK君から水俣に行こうと誘いがかかりました。聞けば、医学部関係のサークルといっしょに水俣病患者さんや未認定患者さんのの聞き取り調査がある、それに参加しようというものでした。
水俣病 (岩波新書 青版 B-113)環境問題を自分のテーマにしようと思ってた私でしたが、恥ずかしながら水俣病のことを当時ほとんど知りませんでした(今でもアヤシイものですが)。小学生の頃の新聞記事に「漁師の人たちが工場に突入」等というような見出しがあったのは記憶にありました。高校生の時、社会研究会の生徒たちが通信制の建物で水俣病の映画を上映しようと動き、それを気に入らない生活指導の教師が映画のお知らせ看板を撤去させていたこと。その一方で、国語のT先生が「あの映画はとても意味のあるものだから、時間があれば見に行くように」とソフトに紹介していたことも思い出されます。その時は、水俣病を知るのが何かこわそうで関わり合いを持ちたくないような気がして、結局映画を見に行きませんでした。
 その水俣に行こう、と友人が誘いをかけてきたのです。置き忘れていた「何か」を探すためにも一度出かけてみよう、そう考え、参加することにしました。

   水俣に行ってびっくり。見ると聞くとでは大違いです。きれいな海と震えの止まらぬ患者さん、そのアンバランスな現実が、事件の悲惨さをより際だたせていました。なぜ、こんなことになったのか、誰が汚染を引き起こしたのか、誰も止められなかったのか、どのようなプロセスで、このようなきれいな海の魚介類が汚染されたのか、治療方法は本当にないのか・・・、いろんなQが頭の中を駆けめぐっていきます。
 高校まで九州福岡にいたのです。公害という言葉が新聞テレビを飛び交っていても、その実態の片鱗すら知らなかった。ショックでした。技術的に解決すればいいという類の問題でないことは、水俣に来てすぐにわかりました。ああ、雰囲気だけで環境問題を人生のテーマにしようと考え、工学的な手段で問題が解決できるのではないかと考えていた自分自身の、なんと浅はかなことか!
 
 水俣病のことをもっと知りたいと考え、貪るように読んだのが、この「水俣病」でした。
 この本は水俣病の発生から、その経過を淡々と事実に即して追っていきます。有機水銀が原因物質であることを突き止めるまでの話は、推理小説の謎解きのような解説になっています。胎児性患者を突き止める下りに暖かみが感じられるのは、水俣病患者の方々に対する思いが下敷きになっているからでしょう。認定審査会という名前の患者切り捨ての実態も淡々と書きつづられているのですが、そのことで余計に国や県の無責任さが浮き彫りになります。圧巻は、水俣病患者の人たちが、病にむち打ってストックホルムの国際会議に出かけ、世界中の人たちに水俣病の存在を知らしめる箇所の説明でした。私はこの下りを涙なくして読めません。この一文を書くために改めて読み返しましたが、また泣いてしまいました。
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 一企業が引き起こした環境汚染、その実体解明を妨害したり、無責任を決め込んだ学者や行政当局、取り返しのつかない健康被害、世代を超えた影響。いやそれだけではありません。それをめぐって繰り広げられる人間関係の複雑さ。そういった「現実」を知った時、私自身、いったい何ができるんだろう。そう思わざるを得ませんでした。これから環境問題をテーマに何かしようと思っていたのに、ますます混乱していきました。
 水俣病とその被害者たちの苦痛、水俣病と関わりをもつことになった人たちの苦悩。私はそれらを正確に追体験できるわけではありません。でも、この本は、そういう複雑さの存在を私たちの前に提示しています。著者の原田さんがいう「水俣病の中に存在するどす黒い病根」とはいったい何だったのか。それを見据えながら、今後に生かしていくことができるのか。いろいろと考えさせられる一冊です。

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(追伸)私を水俣に誘ってくれたK君はその後環境庁に入り、数々の政策案作りに参画しました。でも、志半ば、1999年に突然過労で死亡。水俣病のことを考える度に、屈託のないK君の笑い顔が今でも思い出されます。 ’