2003年水質基準の見直しに対する意見

Water

2003年春に厚生労働省が水質基準の見直し案についての意見募集を行いました。その時に提出した私の意見は別記の通り。国の回答を読めばわかりますが、私の意見など聞く耳がないようです。(この項、2004年1月30日記)

厚生労働省健康局水道課水道水質管理室
厚生科学審議会生活環境水道部会
水質管理専門委員会事務局 意見募集担当様、
電子メールアドレス:suisitu@mhlw.go.jp

水質基準の見直し等について

 意見送付者: 有田 一彦

はじめに

 今回の、「水質基準の見直し等について(案)」(2003年3月)は、前回1992年の改正に続く全面的な見直しとのことで、基準項目の追加や削除が行われ、見直しの背景や経過、あるいは基準項目の策定内容がインターネットにおいて公開されました。また、それについて国がパブリックコメントを公募するというのは、前回までの水質基準改定とは異なり、画期的な進歩です。

 しかしながら、それら情報公開によって明らかになった点もあります。水道原水に関する実質的な検討がなされていないこと、農薬項目を「基準項目」からはずしてしまったこと、クリプトスポリジウムのような病原性微生物に関する問題意識の低さや、作為的なトリハロメタンなどの基準設定、あるいは水質検査の民間委託と情報公開との関係など、いろいろな問題が見えてきます。

 以下、「水質基準の見直し等について(案)」(以下、(案)とします)に内在するそれら問題点について、私の意見を提出します。

原水の水質基準について
水質基準の範囲として、浄水処理したもの(給水栓水質)だけで良いのか

(案)の「基本的考え方」では、水道法第四条の規定から水質基準は「原水について適用されるものではない」とされています。本当でしょうか。それで充分なのでしょうか。
 第四条でいう「水道により供給される水」が給水栓等から出てくる水のことだとすると、水質基準はたしかに原水についてのものではありません。しかし、「水源及び水道施設並びにこれら周辺の清潔保持並びに水の適性かつ合理的な使用に関し必要な施策を講じなければならない」とする水道法第二条の規定から考えると、水道法において原水の水質基準を設定することが必ずしも排除されているわけではないはずです。

 後述するように、農薬やクリプトスポリジウムの汚染のように、原水に関する水質基準を設けなければ給水栓の水質に重大な支障がある場合もあり、給水栓の水質基準で対処するよりも原水基準を設けて対処する方が合理的ではないでしょうか。

 今回の(案)でも謔闖繧ーられている食品衛生分野の危害分析・重要管理計画(HACCP)の考え方では、原料から製品までを包括的に対象とします。水道水質でいえば原水から給水までを対象とすることになります。実際、米国サンフランシスコ市水道局ではクリプトスポリジウム対策において、このHACCPの考え方を採用し、水源地域の家畜放牧に一定の制限を設け牛馬の糞便由来の汚染を食い止めようとしています(文献1)。

 また、欧米の水道機関では水源貯水池などに水質基準を設定して管理運営しているところは決して少なくありません。むしろ、欧米では、いろいろな規制を設けて水源保護のために尽力しているという方検討・改善の余地ありというべきところでしょう。

 給水栓の水質をより良いものにしていくためには、原水の水質基準や水源環境の保全規定を制定していくべきであるというのが私の意見です。今回の(案)に組み込むことは時間的にも内容的にも無理かもしれませんが、今後の検討の中でこの点について鋭意検討してほしいものです。

消えた農薬基準

 今回の(案)では現行基準にある農薬のシマジン、チラウム、チオベンカルブ、1,3-ジクロロプロペンが「維持する必要はなし」とされています。(案)では「水質基準への分類要件に適合する農薬については、個別に水質基準を設定する」としておきながら、現行の農薬は「適合しない」と判断したのかもしれません。しかし、これには疑義があります。

(案)でも指摘されているように、農薬は対象とする病害虫や散布地域、または病害虫の発生時期に応じて散布される時期も限定されますが、使用される農薬とその汚染の程度は個々の地域間で大きな隔たりがあると考えるのが妥当です。したがって、農薬汚染は個々の水道事業体の水源後背地の土地利用形態や産業状況で判断すべきものであり、全国網羅的な水質基準からすべてを排除してしまうと、農薬汚染が発生し得る地域とそこでの汚染による問題を排除しかねません。問題となる農薬については、予め水質基準項目にいくつか掲げておき、地域特性において取捨選択できるような枠組みを作っていただくことはできない相談なのでしょうか。

 また、農薬については原水基準を設けて対応してほしい、というのが私の率直な意見です。給水水質対応の「出たとこ勝負」の基準ではなく、農薬の使用状況と水源地域の汚染との関係を考慮して、それぞれの水道事業体で原水基準を設けて対処する方が、より安全度の高い給水水質を得ることができるものと期待されるからです。
 いずれにしても、このままでは農薬汚染に関しては水質基準項目から排除されたことになり、水道事業体での関心が薄れてしまうことを私は危惧します。

クリプトスポリジウム評価の誤り
最も深刻な被害者集団を無視するのは誤った対応

 今回の水質基準(案)において、クリプトスポリジウムは組み込まれませんでした。その理由について、「極めて多量の試料水を用いて検出されないことを確認することが求められていること、また、クリプトスポリジウム等の検出方法に未だ問題点が残っていることから、現実的ではない」と指摘されています。指摘されている点は理解できますが、塩素消毒に耐性のあるクリプトスポリジウム問題を放置したままで良いのでしょうか。給水栓での水質基準で対応が難しいのなら、汚染の可能性の高い地域を限定して原水基準を設
けるか、あるいは定期的なモニタリングを義務付けるなどの措置がとられるべきではないでしょうか。
 今回の(案)では健常人への影響しか考慮されていません。これは誤った対応であり、深刻な被害を受ける人たちを差別するようなものです。

 1993年の米国ミルウォーキーでの感染被害において、健常者の死者は数人でしたが、免疫系に問題のある人たちの死亡者数は約100〜120人でした(ミルウォーキー衛生局等での聞き取り調査による)。つまり、死亡を含む重篤な影響を受けたのは健常人ではなく、HIV/エイズ患者をはじめとした免疫疾患を持つ人たちや、ガンなどの化学療法を受けている人たち、あるいは大きな手術の後で身体の免疫状態が著しく低下した人たちだったのです。最も深刻な被害を受ける集団の健康や生命を守ることを第一に考えないような
(案)の考え方では、問題解決とはなりません。

 旧厚生省の「クリプトスポリジウム暫定対策指針」においても、免疫疾患をもつ集団への配慮が欠落していました。そのことを私らが当時の水道水質管理室長に指摘したところ、旧厚生省保健医療局エイズ疾病対策課長名で「水道水中のクリプトスポリジウムによるエイズ患者等の感染防止対策について」(健医疾発第9号 1997年8月28日付け)という通知が出ています。HIV/エイズ患者らに対して、「飲み水については、煮沸したものを飲むことが最も良い方法です」等ということを医療機関等に周知させるようにとの内容でしたが、おそらくはじめて国が水道水の煮沸の必要性を提示したものであったと私は理解しています。そういった経緯があるにもかかわらず、今になってもクリプトスポリジウム対策の対象として健常者しか考慮していないのはいったい何故なのでしょうか。

 クリプトスポリジウム汚染は、比較的病原体がカウントしやすい原水レベルにおいて検査する方が検出しやすく、原水基準を設けて対応するのがベターです。また、原水においてクリプトスポリジウム汚染が判明した場合、消費者にもその情報をきちんと公開していくことも必要です。実際、今回の(案)において微生物に係る基準の担当主査である遠藤卓郎氏(国立感染症研究所)は、「たとえ原水であっても国民に知らせるのが当然」との見解でした(1997年9月17日 テレビ朝日「サンデープロジェクト」番組での取材)。しかし、今回のクリプトスポリジウムに関する検討内容には原水の水質検査についての話はありません。
 既に世界各国や日本でもクリプトスポリジウムの集団感染が発生したことを考慮するなら、不幸にも汚染が給水系に広がってしまった時のことを想定することが重要です。その場合、緊急対策として「なま水を飲まないこと」等の警告を提示できるシステムの整備も必要で、とくに被害が深刻な集団に対する警告は欠かせません。水質基準としての兼ね合いで検討しておく必要もあるはずです。

 以上、クリプトスポリジウム汚染に対しては、まず、健常者ではなく最も被害の影響が深刻となる集団の健康を第一にした基準策定が必要であること。2番目に、原水の水質基準を設けるか、あるいは水源地域の土地利用規制か監視システムを策定する必要があること。三番目として、「なま水警報」等のシステム作りと水質基準との連係が必要であることを強く指摘しておきます。
 

基準項目の評価の問題点

 基準項目の評価にざっと目を通してみると、一見科学的なアプローチを採用しているかのように見えて、実はかなり作為的なことを行っているものが散見しました。全項目について意見を述べるのは別の機会に回しますが、とくに気になったものをいつくか示します。

 まずトリハロメタンのクロロホルム。TDIを求める計算過程はWHOのガイドラインで採用されたものと同じになっていますが、TDIに対する飲料水の寄与率を20%にしているので、(案)では0.06mg/Lと計算されています。一方、WHOは寄与率50%、体重60kgを採用し、評価計算値は0.2mg/Lとなっています。どちらも同じ仮定を用い、計算過程も同一であるにもかかわらず、0.06mg/lと0.2mg/Lというように基準値が大きく異なるのは、TDIに対する飲料水の寄与率の数値の選択による違いが大きく影響しています。
 WHOの評価における寄与率50%は無前提的に決めたわけではありません。クロロホルムが発ガン性物質であることを考慮し、ビーグル犬での7.5年にわたる毒性試験結果と照らし合わせた上、TDIを求める計算で飲料水の寄与率に50%を採用しています(文献3)。しかるに日本の(案)では無前提に寄与率を20%に設定しています。これには何か特別な意味があるのでしょうか。1992年当時に提出した0.06mg/Lという基準値にツジツマを合わせるためではないかという勘ぐりもできますが、真相は私にはわかりません。 

 基準値は低ければ低い方が良いという考え方を採用するなら、(案)の評価値に算出された0.06mg/Lは歓迎しなければならないところです。でも、それでは水質基準の科学的根拠についての曖昧さと不信感を残してしまいます。評価値を低く算出することで、あまり危険性のない水質項目に対する消費者の不安を煽り、水質検査の拡充や民間委託への試験内容の拡充などの便宜供与を図っているのではないことを強く願う次第です。

 次に鉛。鉛の水質基準は2003年4月1日から0.01mg/Lに変わりました。やっと国際的にみて恥ずかしくないレベルになったという意味で歓迎できるものですが、評価値の説明箇所には違和感があります。
 鉛の評価における説明は、既に前回の基準改定の1992年でも明らかになっていたWHOの説明と全く同じであり、当時はその説明を使わず、日本の鉛管などの敷設状況などを考慮して基準値が緩められていました。今回の基準でやっと国際水準になったとはいえ、基準値が科学的根拠ではなく、別の事情で決められていること、あるいは1992年から2002年まで鉛の危険性が放置されてきた「失われた10年」の責任について、全く不問にしたままであることに改めて不信感を持たざるを得ません。

 pHについても一言。今回の(案)でも相変わらず、5.8〜8.6という基準のままとなっています。この幅広いpH範囲は、科学的根拠ではなく全国各地の水道事業体の実態に基づくものだという指摘は以前からなされてきました(文献4)。私自身もpH基準は「基準というのは名ばかりの免罪符」だと主張してきたところです(文献5)。金属の腐食などを防止するという目的を掲げるのであれば、真摯に評価検討を行い、妥当な基準値を策定すべきではないでしょうか。

 いずれにしても、水質基準項目の基準値設定には必ずしも科学的根拠には基づかない、何か別の要因が含まれていることが明らかです。「人の健康に対する悪影響を生じさせない」とか「生活利用上の障害をきたさない」という建前論ではなく、基準値が規制値なのか目標値なのか、あるいは勧告値なのか、明確な定義を設けて曖昧さを排除し、科学的観点から理路整然とした評価を行って設定されることを願って止みません。
 

民営化のための水質基準とその問題点

 今回の(案)は2002年7月24日付けの厚生労働大臣の諮問の第三番目に「公益法人に対する行政関与の在り方の改革実施計画に対応するための水質検査機関等の登録制度化」に基づいた検討がなされています。これは水質検査の民営化に関するものだと推察されます。水道事業の民営化議論は横に置くとしても、水質検査を民間に委託することについては、いろいろ問題があることを指摘しておきます。

 まず、水質試験に関する責任問題。(案)では、水質試験の精度や信頼性、あるいはサンプリングなどについて検討が加えられています。単に作業だけの委託であれば話は簡単ですが、水道法第四条に規定する水質検査は水道事業の品質検査ですから、データの精度や信頼性はもちろん、その遂行に当たっての倫理規定についても問われてくるのではないでしょうか。つまり、試験結果の捏造や改変に関するペナルティや罰則などの予防措置、水質検査に関する守秘義務の履行措置も必要になってくるはずです。基準項目水質基準を民間委託できる形に体裁を整えただけでは、それらの責任問題が曖昧になってしまいます。
 次に情報公開について。現在、水質検査の結果が消費者に充分に公開されているとは言い難い状況です。水質検査の結果を冊子等にして図書館などで公開している水道事業体があることは知っていますが、それは一部の事業体のみ。水質検査は国に報告するために実施しているのであって、市民に公開するために行っているのではない(概意)と主張する某水道企業管理者もいるのが実情で、全国を見回してみると非公開の態度をとる事業体が多いのではないでしょうか。

 そのような状況下で、水質検査の民間委託が推進されるとすると、今でさえ不十分な水質検査の実態が余計に消費者から見えなくなってしまいます。つまり、水質試験結果の民営化が水質データの制度的隠蔽に繋がりかねません。そうならないためには、消費者へ検査結果を情報公開するような制度的枠組みが必要です。水質検査の民間委託に際しては、試験遂行の責任の明確化や、情報公開制度を是非検討されるように強く望みます。
 
 

(文献)

1.San Francisco Public Utilities Commission 資料  “HACCP -based Program to control
Cryptosporidium and other waterborne pathogens in the Alameda Watershed ” 1997
2.San Francisco Public Utilities Commission “Alameda Creek Watershed Grazing
Resources Management Plan” July 1997
3.WHO “Guidelines for drinking-water quality 2nd edition Addendum to Volume 2”
1998
4.萩原耕一編著 「水質衛生学」 光生館 1985
5.有田 一彦 「あぶない水道水」 三一書房 1996