運がいいとか悪いとか

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そんなことを人は時々クチにするけど・・・と歌ったのはさだまさし。あなたは運がいい方ですか悪いほうですか。
さて、ここでいう運の良し悪しは結果論。思うに、運とは決定論で考えないとイイのが回ってこないのではないでしょうか。今回はずっとドックに入っていた原稿です。書いた後に関電やらいろいろ話題が出てきたので放置していた分です。

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20代のいつ頃だったか、何かをなす時には2つの能力が要ることに思い至りました。まぁ個人的な仮説だと聞いて下さい。

まず1つ目は、ある出来事が自分にとってチャンスなのかどうかを判別する能力(運の察知能力)。もう1つは、その運を形あるもの、いわば成果に繋げていく能力です(実行可能な能力)。

後者は日々の学習あるいは研鑽を積んでいかなければ身につきません。でも前者は本に載っているようなものなのか。どうもそうではないらしい。

運が良いとか悪いとか、それは結果を見て云う話。男であろうが女であろうが、富んでいようが貧しかろうが、社会的ステータスが高いか・そうでないか等で、はたして違うのか。

たしかに格差や階級差は差別や区別に繋がります。でも、太郎の家にも花子の家にも雪は降り積むと考えるなら、つまり自然の摂理からすれば、やってくる運に違いはありません。だいいち、そうでないと面白くない。

違いがあるとしたら、何よりもまず、それが自分にとってのチャンスかどうかを判別できる能力ではないのか。運が良い人は前もって運の良否を判断できる能力が優れているのではないか、と考えたわけです。

先日本を読んでいると、この仮説がある研究で裏付けられていることを知りました。それはリチャード・ワイズマンの研究報告です。


「運が良いと思っている人」50人と、「ついていないと思っている人」50人を集めてコイン投げで比べたら、どちらも成績はいっしょ。超能力テストでも同じ。これは当たり前で肯けます。

次に、新聞中の写真の数を調べさせたら、前者が正解なのに対し、後者の方は全員不正解だったのこと。なぜでしょうか。

種明かしは簡単で、新聞の中に「正解は43枚」と書いてあるのを「運がいいと思っている人」はちゃんと読み取ったのに、「ついていない人」は見逃していたということでした。(出典は藤尾英人「お金を話そう。」(弘文堂 2019))

要するに、運が良い人は与えられた状況の中から正しく情報を読み取ることができたということ。私がいうところの、運の識別能力があったというわけです。

煎じ詰めれば運がいい人とは、能動的、前向き、プラス思考でイイ運が自分に巡ってくると信じている人のこと。最初から運が悪い等とボヤいていると良運はなかなか巡ってこない。さださんが描いた無縁坂の母は、残念ながら後ろ向き思考の人だったということに他なりません。

私は自分が運が良い方だと思っていますが、それは上記仮説を実践してきたから。でも、人生では結果無視してトライするのも楽しいンですけどね(笑)。