M4

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中島みゆきさんの歌に「M4」というのがあるのを知りました。ネットやYoutubeを漁ると、タイトルが「ライカM4」やはりLEICAのM4です(注1)。イケイケな歌や恨み節的な旋律ではありません。良く知られるみゆき節とは一風違う、柔らかい奇妙な歌詞になっています。

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ライカのM4は1967年から1975年に生産されたカメラ(注2)。日本に登場した時のボディ価格は16万8千円、50mmF1.4付で29万4千円。当時の公務員の初任給が2万5千円程度ですから、レンズ付なら年収相当な価格でした(注3)。

写真はM4。LEICA shop(AUSTRIA)から

LEICAは現在でもフィルムカメラを作っていますが、M4はレンジファインダーカメラの完成形だという人が大勢います。そのM4をタイトルにした問題の曲が中島さんのアルバム「組曲」(2015年)の3曲目に入っています。

組曲(Suite)

なぜ、中島さんの歌でライカM4なのか。どうやら彼女のアルバムジャケット写真を撮っているカメラマンの田村仁さんが使っていたようです。

中島さんが田村さんとの出会いややりとりを解説したのをネットで読んでみると、写真映りがもう1つだった彼女に自然体で写ることを教えたのが田村さん。それからずっと撮ってもらっているらしい。

田村さんは吉田拓郎さんなども撮っており、フォーク関係では信頼があつそうです。そういう事情を知って歌を聴くと、なるほどなるほどって感じ。

実際のところ、LEICAはサイズや雰囲気から撮られている感じが希薄なのでポートレート向きだといわれ、古くはブレッソンやキャパ、日本では木村伊兵衛さん等が撮った人物写真には傑作が多々。そういえば、先日「通販生活」最新号で織作峰子さんの手元にM3が置かれていて、デジタルカメラ隆盛になってもまだまだフィルムLEICAの需要はあるみたい(M3はLEICAの最高傑作)。

それにしても、歌の中でM4を「エムヨン」と呼ぶのは田村さんがそう呼んでいたからでしょうか。カメラ的には「エムフォー」。日本語英語チャンポンな国ですし、そっちの方が日本人のおじさんには受けるのかもしれませんね(苦笑)。

LEICAのMシリーズ、最初のM3が出てから既に63年、M4で50年。完全メカニカルなため修理や補修ができるとか。いまだに大勢の人たちに使い続けられているというのも宜なるかなですが、大量生産大量使い捨てのこの時代において希有な存在ですね。昨今のカメラは世代交代が早すぎです(苦言でした)。

その長寿命、LEICAの魅力の1つでしたが、昨今の電気仕掛けなデジタル時代にはそうもいきません。ハッセルのようにM3やM4にデジタルバックって出てこないものでしょうかね。出たらM3やM4と合わせて買うのになぁ。

(注1)ちなみに米国陸軍で使われた戦車もM4、通称シャーマンといいます。ドイツのⅤ号戦車(パンターorパンサー)やⅥ号戦車(タイガー)に比べると、性能や見栄えで負けますが、戦史上では数と戦術戦略でM4が優位に立ったとされています。
(注2)LEICAはカメラであれレンズであれ、シリアル番号を見れば製造年や製造数そして場合によっては製造場所までもがわかるのが凄いところ。
(注3)LEICAの価格はCAMERAマガジン2014.7号、公務員初任給は週刊朝日編集の「戦後値段史年表」(朝日文庫)から