水道水が使われなくなってきた

Water

 最近とんと水道業界のデータに疎いのですが、先日水道業界に詳しい友人から「最近の大阪市水道局の日最大給水量をご存じですか?」と尋ねられました。知りませんと応える私にその人曰く、「150万立米前後なんですよ。一時期の200万トン超えていた時代に比べるとひどく減っています。私が昔予想した通りです。水道水にも価格弾力性があるんですわ。」

 調べてみて私も驚きました。既に一昔前の計画論や水道経済性の議論では通用しないことが起きていました。そしてそれはその友人や私が予見していたことでもあったのです。…


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大阪市水道局のHPによると、大阪市水道局の1日最大給水量は本年度2005年は152万トン(7/21)、昨年度は156万トン(7/8)となっています。毎年天神祭りの時期が最もたくさん水が出る(使用水量が増える)と云われてきましたが、今年はたしかにその通りだったようです。でも、この数字、昔の数字を知っている者からすると仰天モノなのです。

 その昔の数字とは以下の通り。

大阪市の1日最大給水量 
1日最大給水量(万立米)   給水人口(万人) 
1965年 198.8 310.9
1975年 218.1 276.2
1980年 188.7 255.8
1985年 189.1 263.4
1990年 193.4 261.3
1995年 178.4 259.5

 *データは水道便覧(日本水道協会)より

 70年代には約220万トンもあった水量が、今は150万前後。ここ30年間の減少率で約三割!。90年に少し持ち直し、193万トンとなっていますが、それからまた2割ほど減って今では150万トンちょい。1990年以降人口が少し減ってきているのを配慮したとしても、1人当たりの使用水量の低下は否めません。

 さて、この原因はいったい何でしょうか?

 まず、人口の減少によって使用水量(1人当たりの給水量x人口)が減っているという説明が出てきそうですが、人口が2割3割減っているわけではありません。

 友人曰く、一番の理由は水道料金値上げとのこと。大阪市では巨額な水資源開発費や「おいしい水の供給」のための施設費を賄うため数割アップの価格改定を行ってきました。これが水の使用内容を見直す人や事業所を増やしてきたのではないか、その結果、全体の使用水量が減ってきたのだと友人は推論していました。実際、水量が減っているのですから、理由はともあれ、従来の価格弾力性は働かないという議論自体、怪しくなってきたといっても過言ではありません。

 一般に水道料金には価格弾力性が働かない、あるいは働きにくいと云われてきました。代替手段がない財だから…というのがその主な理由ですが、友人に云わせると「根拠はない」とのこと。私も同感です。なぜか。

 モノの値段が上がると、私たちは高いものを敬遠し、代替物を捜したり、使用を制限することによって財の購入そのものを控えようとします。すると、モノの販売量そのものが減ってきます。これが価格弾力性(専門的な説明はご自身で調べて下さいませ)。水道水の場合、他に代替物がないため(蛇口の水は水道当局による独占的排他的サービスであるため)、価格が少々上がっても必要な水は使わざるを得ない。だから水使用量は減らしようがない(とされ)、水道料金には価格弾力性が働かないと考えられてきました。でも、大阪市のデータをみると、その考え方は見事に裏切られています。

 水道水の代替物は本当にないのか。そんなことはありません。ここ20年の間に飲み水は水道水ではなくミネラルウォーターという人たちが増えています。また、トイレの水に雨水を使ったり、お風呂の残り湯を洗濯に利用する人も以前よりは増えてきたような感じもします(統計は知りません)。もったいないという言葉が流行語になるくらいですから、水を大切にしようという人が増えてきても不思議ではありません。そして、実際にそうなっているというのが大阪市のデータからうかがわれる・・・というのが友人の言い分でした。

 いやいや、考えてみると節水意識がなくても水量が減ってくる要因はあります。たとえば、水洗トイレ。70年代には一回水を流すのに20リットル以上使っていましたが、今では10リットルとか8リットルという便器も珍しくありません。単純に1人1日の水洗回数を5回としても、1人当たり50リットルは減るわけですから、これはでかい。消費者が何も考えなくても水の使用量は減っているというわけです。

 70年代80年代90年代と水需要が今後も増えることを理由にして、当局は巨大なダム建設や水資源開発に奔走してきました。関西なら琵琶湖総合開発や周辺のダムがそのために用意され、そして進められてきました。先の友人や私は、そんなことはない、水需要は頭打ちになり、巨大開発は無駄になる等と主張してきましたが、それはごくごくごく少数派。ところが、当局の云う肝心の水需要は伸びるどころか、どんどん減ってきて、残されたのは無駄になったダム等の水資源開発工事とその建設負債です。いったい誰が責任をとるのでしょうかね?

 以前土木学会誌で持論展開した折り私は、「消費者は(中略)トイレに飲み水と同じ水質の水を流すことの愚かさにも気づきはじめている」と書きました。また、私のようにトイレ水洗水に雨水を使うことが一般化しはじめたら、「水源への関心に繋がっていく」とも指摘しました。そうなってくると、さらに一段と価格弾力性が働き、水道事業の根幹を揺るがしかねない事態となることでしょう。私はソノトキを心待ちにしています。ソノトキこそ、水道のパラダイム変化が顕在化するトキだからです。

(第一稿 2005年 11月 7日)