再、マニフェストというマヤカシ

.opinion

先日、自民党が4年前に出した政権公約のうち、郵政民営化以外はどないなったかをメディアが報道しないことに触れました。その時、マニフェストと公約との間のギャップに何か引っかかりを感じてしまったのですが、さっき届いた週刊「金曜日」の編集長後記を読んで少し納得。

北村編集長曰く、ジャーナリズムにあてはまる日本語がない。「報道活動」ではしっくりこない。権力を監視するという意味合いを含んだ言葉を作っていたら、マスコミの堕落は防げたかもしれないとのこと。マニフェストも、敢えて日本語にしないのは何か思惑があるのでは?と訴えていました。

そうか。公約を横文字&新奇用語のマニフェストと錯覚させて曖昧にしてしまえば、責任の所在が回避できる・・・そういうことでしょうね、きっと。やっぱり、政治家には要注意。うそつきは政治家の始まりだし、マニフェストはマヌーバーのマヌと同じ語源だな。

それでも、自民党と宗教政党をいったん退場させ、少しでも官僚支配の政治にメスが入るなら、私はそれをベターだと思いますけどね。