
5月3日にNHKのeTVでHIMARIさんのドキュメンタリーが放映されたので、ネットでもいろいろ解説や感想がアップされています。そのHIMARIさん、昨年3月のベルリンフィルとの共演時は13歳だったのですが、このような年齢のソリストがベルリンフィルと共演したのは100年来らしい。
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調べてみると、Jascha Heifetz (ハイフェッツ)とYehudi Menuhin (メニューイン)の2人。前者は11歳8ヵ月(1912年)、後者は12歳(1929年)。どちらも名前しか聞いたことがありませんが、ハイフェッツはブルッフの楽曲も愛奏していたらしく、HIMARIさんが今年のコンサートでブルッフを選んだのに何か繋がりを感じてしまいます。
さて本題。この100年間に登場した類いまれな演奏家のうち何人が記憶に残っているでしょうか。数十年ならその名前を覚えていても100年も昔になるとどうでしょうか。「ヴァイオリンの王」と称されたハイフェッツでも知っている人は少ないかもしれません。音楽を演奏する人ならいざ知らず、私のように音楽を聴くだけの者なら尚更です。
演奏家よりも名前の記憶が残りやすいのは指揮者ですが、それでも100年前に有名だった者を挙げよと云われると、私が知っているのはフルトヴェングラー(ベルリンフィル)とトスカニーニくらい。それ以前になると全く知りません。
一方で作曲家はどうか。ヴィヴァルディ、バッハ、モーツァルト、ベートーベン、ショパン、シューベルト・・・・・など名前の枚挙にいとまなし。要するに作曲家と指揮者・演奏者とでは記憶のされ方が大違いなのです。
コンサートやリサイタルは演奏家あるいはオーケストラのような演奏集団が作曲家の作品を取り上げることで成立します。演奏家や指揮者は変わっても、作曲家の名前は演奏の機会がある度に私たちの記憶に刻まれ強化されるためすぐに消えることはありません。おそらくこれが記憶の差異に繋がるのでしょう。
そのことを一番理解しているのは演奏家や指揮者の方々でしょうが、すべての営為も同じといえば同じ。いずれ全て忘却の彼方という厳しい現実に何かもの哀しさを感じるのは私だけでしょうか。とは言え、録音も録画もある今の時代は、それが無かった時代とは雲泥の差なのは言うまでもありません。
それに、優れた作曲家といえども、演奏してくれる演奏家がいなければ世間から忘れられてしまいます。「四季」で有名なヴィヴァルディも20世紀になって再び脚光が当たるまで、長い間、忘れられていました。今では「音楽の父」と言われるバッハですが、死後80年後にメンデルスゾーンが取り上げるまで、世間からはずっと忘れられていたそうです。
さてHIMARIさんのライブ、今までに2回聴きました。1度目はいずみホール@大阪、2度目はフェニックスホール@福井。彼女の演奏はMIDORIさんやヒラリー・ハーンさんと同じく、巧いというレベルを超えて心に迫ってくるのが超一流の証。作曲家みたいに100年を超える名前となるかどうか、あるいはハイフェッツらと比較してどうのこうの云うのはコマーシャルな人々に任せ、浮世の私たちは今を大切にし優れた演奏を楽しむことにしましょう。
(おまけ)HIMARIさんの現在の先生のアイダ・カヴァフィアンさん、チック・コリアのアルバムにも名前が挙っていたのでAppleMusicで引っ張り出して聴いたら全くジャズで面白い。