フーガ、パルティータ、インヴェンションあるいは無伴奏チェロ組曲といえばバッハ。そのバッハはその死後80年近く、一般にはあまり知られていなかったらしい。なぜでしょうか。
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先日名古屋のしらかわホールでシフさんのピアノを聴きました。その一曲目はバッハの「ゴルトベルク変奏曲」のアリア。グールドの演奏とは一味違い、シフさんの人柄の良さというか暖かみを感じる名演奏でした。
帰宅してから、そのシフさんがバッハをチェンバロで演奏するのを聴いたら、ピアノ曲とは全く印象が違う。楽器がチェンバロのためか残響音がなく音の奥行きがない。一言でいえば実に淡白なのです。(追記)

ピアノならもっと抑揚があって音が豊かに響くのに・・・と思っていると、ふとある逸話に思い至りました。それはバッハが生前も死後も弟子や一部の作曲家以外にはあまり知られることがなかった、という話です。
なぜか。バッハは1685年生まれで1750年死去。この時代はピアノではなくチェンバロが演奏楽器の主流でした。だから、当時は私が聴いたように淡泊な感じだったのでしょう、きっと。
というのも、チェンバロには構造上ペダルがなく音の強弱や響きを出しにくい。だから教会での演奏はともかく、大勢の前では音が響かず曲の良さを生かしきれずに広まることもなかった。ちなみにバッハが亡くなったライプツィヒにあるピアノメーカー、ブリュートナ一の創業は1853年なのでバッハの死後約100年後のこと。
当時はレコードもCDもなく、ラジオやTVもなし。バッハの存在を知っているのは一部の音楽関係者に限られていたようですが、ベートーベン(1770~1827)はバッハの真髄に気づき、「バッハ(小川)ではなくMeer(海)だ」と言ったとか。
ところでバッハを世間に知らしめたのはメンデルスゾーン。l829年メンデルスゾーンが「マタイ受難曲」を約100年ぶりに復活上演したことがきっかけでバッハは広く知られるようになり、以後いろいろな演奏家が取り上げることで有名になり現在に至っているのです。今でこそバッハは大作曲家として有名ですが、生きている時に数百年後の世界的な名声を想像したことがあったでしょうか。
こんな話はこれからもあるはず。音楽だけでなくアートの世界でもいっしょ。日々真摯に創作に努めていたら、いつかどこかで誰かが見い出してくれる(かもしれない)、・・・そう思うと時を超えた人の繋がりや芸術の連関性の不思議を感じざるを得ません。
(追記)
そういえば、グ一ルド演奏の「ゴルトベルク変奏曲」を最初に聴いた時、何か音がブチブチ切れるなぁ、これがホンマにバッハの名曲なのか等と感じたんですが、その違和感の正体がやっとわかりました。あれはチェンバロのために作った曲であってピアノの曲じゃなかったんだ、そう考えれば納得。