被曝を強制する側になってはいけない

.opinion 3.11

(祝)絶版だった中川さんの本が10/20に復刊されました。おめでとうございます。

311の後、中川保雄さん(故人、神戸大教養部)が残した名文句を紹介しました。でも、いまだにこの含意を理解できない人がたくさん。原発推進側や御用学者が理解したくないのはわかりますが、みんなの健康を願っているはずの議員や市民の中にもたくさん出てきているような感じがしてイヤな気分。

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中川さんが云ったのは(再度繰り返しますが)、以下の通り。

「今日の放射線被曝防護の基準とは、核・原子力開発のためにヒバク を強制する側が、それを強制される側に、ヒバクがやむをえないもので、我慢して受忍すべきものと思わせるために、科学的装いを凝らして作った社会的基準で あり、原子力開発の推進策を政治的・経済的に支える行政的手段なのである。」

どんなにキレイゴトを並べても、この世の中には「被曝を強制する側」と「被曝を強制される側」の2つに分けられます。「どちらでもない」派はありません。原子力開発を推進する人たちは当然前者ですが、それを支える御用学者も含まれますし、なんだかんだ云って容認するような人たちも前者です(平和憲法9条を守れといっていた益川さんみたいな人もここに入るのはとても残念)。

月曜日だったか、たった1件の食事を測っただけで福島や関東近辺の食事は安全だと解説したNHKも「被曝を強制する側」。311以降、御用メディアであることを如何なく発揮しているといえませう。

NHKや朝日新聞などは卑怯な御用メディアですから今更驚くことはありませんが、その分析をやっていた首都圏大学の福士某については平気でウソをつく人間だと当サイトでも伝えた通り。これらは御用メディア・御用学者は云わずとも「被曝を強制する側」。

福士某は東京都区であれこれアドバイザーみたいなことをやっているらしく、とくに荒川区のように区長自ら安全だから空間線量は測らないとウソぶく地域でも食品を測るとかで、それに追随する議員が出始めているらしい。恥ずかしい。

また、将来的にみてもわずか1%以下の人(しか)ガン死に至らないという危険性を前にして、他のガンと区別がつかなくなるとか、99%は大丈夫なのだから問題なしと云った医者たちがいます。彼らは責任関係を故意に無視していますし、自分たちは1%には入らないという思い込みなのでしょうか。これもまた「被曝を強制する側」の論理の一つです。

「被曝を強制する側」にならないためにはどうしたらいいのか。人類を破滅に導くような原子力開発や原発にノーの声をあげ、「被曝を強制する側」に加担しないような生活のあり方を見つけ出していくことが肝要です。具体的にはいろいろあるけど、「強制する側」企業の製品を買わない・サービスを受けないというのはシンプルですぐできる行動です。NHKや新聞のサービスはやめるとか、東芝製品不買とかそんなところからはじめてはどうでしょうか。「強制する側」の御用学者といっしょに何か作業をしていくなんてのはガス抜きなのか、それとも取り込みなのか、きちんと評価できない限り近寄ってはなりません(きっぱり)。

そして今この時でも被曝の恐怖に怯えている多くの人たちに思いを馳せることが大切です(何ができるかはそれぞれ次第)。その努力なくして311は乗り超えられないのではないかと思います。

NHKや新聞などの御用メディアは既に原発事故は終わった、燃料棒の冷却作業は順調に進行中という「情報」を流して安心させようとしていますが、吐き出された放射性物質による汚染は今後数十年〜、いや数百年かもしれません。土壌汚染は「除染」くらいでは簡単に解決しないでしょうし、「除染」されたブツは保管先すら決まらず、水で洗えば海に流されるだけですから、問題の先送りでしかありません。既にばらまかれた放射性物質による汚染と合わせ、海の汚染はこれから本格化します。まともに考えていたら頭が変になりそうです。

「被曝を強制される側」である私たちが(古い言い回しでいえば)連帯すべきは誰なのか。原子力開発推進側が進むのが「悪魔の道」とすれば、「被曝を強制される側」が強制されずに生き残る道を探し求めるのは「人の道」。この国は既に壊れていますが、人の道をはずしてはいけません。