水道管の規制緩和

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いつか書いておこうと思っていたことの1つ。水道管に関する規制緩和の話。
既に8年前になりますが、自宅を建てる時、水道管に架橋ポリエチレン管を採用し塩ビを一切使いませんでした。規制緩和によるおかげだと当時は好意的に受け止めていたのですが、…

要するにその緩和は、水道民営化や外資導入をスムーズにする道筋だったのではないか、というのが現在の私の「読み」です。

1990年代、さまざまな分野において規制緩和が進みました。水道もその例外ではありません。水道法の改正とそれに続く関連規制や通知通達の変更により、従来の水道事業では不可能だった事業、たとえば、業務の外部化、簡単にいえば民間委託ができるようになりました(全面委託はまだ無理なのかな?)。

水道設備についても規制緩和が進み、水道管についても国際基準を満たしたモノであれば採用可能になりました。当たり前の話じゃないかと思う人もいるかもしれませんが、それ以前は各自治体の水道当局が認めたものしか使えませんでした。その内容も塩ビ管がほとんどで、たとえばポリエチレン管やステンレス管を使おうとすると厳しい抵抗を受けたり、あるいは役所が認可印を押してくれないということもあったと聞いています。おまけにその許認可が自治体毎にバラバラだったため、阪神大震災の時に応援にかけつけた全国の水道事業体の部材がてんでばらばら、一緒に使うのが難しいという哀しい?話まで出てくる始末でした。

でもその状況は少なくとも法令・規制上は変わりました。先にも述べたように、「水道管についても国際基準を満たしたモノであれば採用可能」になったからです。

塩ビ管には鉛を含むものが出回っています。耐久性にも難ありで、20年もしないうちに床や壁をはつって交換する羽目になるのは願い下げ。おまけに廃棄時の汚染まで心配しなければならないのですから、自然環境に配慮した自宅作りには使いたくありません。幸い、水道設備に関する規制緩和が出てきたことで、拙宅では99年に架橋ポリエチレン管の採用で届出を行いました。ところが、地元水道局はその届出を認めないと拒否してきたのです(1999年)。なんとまぁ!

法改正等により、既に許認可ではなく届出になっているのだから、役所の言い分は法令違反であり、認めないと言い張るならそれもいいでしょう。その代わり文章で回答して下さいとこちらが応えたところ、その後、「そちらの話は認めるが、できるなら役所指定のものをお願いしたい」(概意)と急に変化。文書で拒否してきたら裁判でもしようかとまで決心していた身としては拍子抜けの感もありましたが、届出通りの部材を使って施工完了。その辺の経緯と結果は家づくり記録に触れている通りです。

まぁ自宅工事では少し行き違いがあったものの、水道管も規制緩和によって、より安全な部材が使えるから、これからはずいぶん安心だなと感慨深く思ったのですが、…それは甘かった。考えてみれば、一連の規制緩和は消費者に配慮したというよりも、業界側の事情に与したものでいう解釈の方が辻褄があいそうです。

まず、一連の水道規制緩和で嬉しい思いをするのは大手住宅メーカーでしょうか。それまでの水道管規制は各自治体で異なるため、全国展開するハウスメーカーにとっては厄介の種。これが全国どこでもいっしょの規格基準になれば、個々の地域毎に別建ての設計施工は要りません。とくに工業化住宅としてはウエルカム。万々歳でしょう。水道設備業界も地域毎に製品を替える必要はありません。ここもウエルカム。

いやいやもっと大きなギョウカイ、全世界展開する水道関連メーカーを考えてみましょうか。国際基準を満たしておればいいというのは全世界共通だということですから、日本だけ特殊なモノを使う必要はありません。

規制いっぱいの、まるで障壁のようなローカルルールが消えた。これは実に好ましい。でも、国際基準を満たし水道設備ならオッケイということになると、一気に全世界の関係者が日本の水道事業に参入できる機会ができたということを意味します。つまり、水道関連規格の規制緩和とは大局的にいえば、水道事業のグローバルスタンダード化なのです。

迂闊でした。たしかに消費者には大きなメリットでした。でも私たち消費者がその規制緩和を勝ち取ったわけでも何でもありません。あてがいぶちに突然出てきた緩和策が何を意味するのか。緩和だ緩和だと小市民的に喜んでいるだけでいいのでしょうか。誰かの目論見が本質的に私たちを単なる消費者だとみなすような落とし穴の中に嵌っただけではないのか…。そのことを、きちんと考えなかった自分自身が甘かったという意味です。

どうやら、水道法令・規制の緩和の推進は、外資企業を含む水道の民営化への道筋を視野に入れなければならない事態でした。でも、仮にそれが把握できたとしても、従来の既得権益者である水道関係者といっしょに抵抗するのが良いのかといえば、それも違う。結局、何もできなかったであろう自分を考えると、今更ながら歯痒く思う次第で、二重に悔やまれます。

拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる (文春新書)おまけ。
90年代の規制緩和は水道の分野だけでなく、実にさまざまな分野で進みました。たとえば、国は建築士、公認会計士、弁護士等の資格を国際的に統一してしまいました。それに伴い、大学の教育年限も従来の4年から6年に変わってしまっています。大学院大学というのはそういう伏線だったのかと、これまた改めて思わざるを得ません。

なぜそんな変更がなされたか。たとえば関岡秀行さんは、国際的にバラバラだった知的資格基準を米国のものに合わせようという動きであると喝破しています。詳しくは「拒否できない日本」(文春文庫 2004)をお読み下さい。右左関係なく、重大な指摘がなされた本だと私は思っています。

いやはや、世の中はどんどんグローバル化されてきました。ちなみに、グローバル化というのは世の中を米国流の社会に変えること。国際化というのはインターナショナル化であり、グローバル化とは分けて議論するのが、その方面では(どの方面?!)当たり前だと、誰かの書いたものを読んだ記憶がありますが、まさにその通りでしょう。