埼玉プール事故:原因追及しなかった事故調査委員会

プール事故

昨日16時ふじみ野市のHPで公開された「ふじみ野市大井プール事故調査報告書」(平成18年9月)を読んでみたところ、報告書は事故の根本的な原因追及がなされず、「再発防止のための提言」にもなっておらず、そして被害者の命を弔うものでもありませんでした。
多くのマスメディアでは報告書の中にある「ずさんの連鎖」という言辞を引いて、調査委が厳しく関係者を追及したと報じていますが、ホンマに中味を読んだのでしょうか? メディアは行政といっしょになって事件の終息を図っているようにしか私には思えません。悲しくなりました。…

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原因追及なし

 今回の報告書の構成について。「はじめに」と「むすびに」がついていますが、全体は三章構成で53ページとなっています。また、資料編として各種条例や要綱が別途ついています。これをざっと見て、まず奇妙な感じを受けました。

 第一章は「大井プール事故調査委員会において確認した事実」、第二章は「大井プールの問題点の整理」で、第三章は「再発防止に向けてのふじみ野市に対する提言」となっています。問題点を整理したなら、次は原因分析なり事故解析が続くものと思いますが、それがありません。問題点の列挙からいきなり提言とはあまりにも無謀というか、ずさんな構成です。それも内容が希薄で、事実確認とは名ばかりで実際はマスメディア等の報道をベースにしており、独自で調査をしたという感じでもありません。

 今回の事件は、プールで泳いでいた女の子が吸水口に吸い込まれて亡くなったという痛ましいものでした。なぜ吸水口の蓋がはずれていたのか、蓋が針金で止められていたのはなぜか、針金止めを管理者らは見落としていたのか、それとも放置していたのか、そもそも針金止めで事足れりと考えるようなプール構造になっていたのはどうしてなのか等々、被害者家族もそうでしょうが、私たち外部の者もそこらがまず知りたい。事故の原因調査というからには、そういったたくさんの疑問にひとつひとつ答えていくのが基本だと思いますが、それらがほとんどありません。

 また、私が指摘していたプール構造の設計施工段階での問題についても、まるで調査委員会が指摘していたかのように記載するだけで、「疑問を指摘するにとどめ…」と踏み込んでいません。要するに根本的原因は一切調査しなかったというわけです。これでは事故の再発防止は望めません。

 その一方、吸引力に関する私の著書記載に触れ、「今回の問題の条件とは異なっている」としてます。そんなことは私も再三メディアでことわっており、被害者の死亡という重い現実の前では本質的な問題でもありません。ここでも問題なのは、なぜ蓋がはずれていたのかということなのですが、報告書では「外れたという事実は厳粛に受け止めなければならない」とするだけで原因究明をサボタージュ。すべてにおいて、原因究明の入り口付近でウロウロしながら、中には一切踏み込みません。いったい何故そういう調査しかできなかったのか、市や誰かに気兼ねしていたのかなと、そっち方面に興味を覚えたくらいです。

奇妙な提言

 加えて実に奇妙な提言が報告書に載せられています。プール事故の原因調査についての提言よりも「市有公共施設の安全管理対策」に提言の多くが割かれています。なぜ? この報告書はプール事故への提言ではなかったのでしょうか?
 肝心のプールへの提言については、施設整備改修と緊急通報設備設置などとなっていますが、それだけで事故の再発が防げると委員会は考えたのでしょうか?また、施設点検マニュアルを作りなさい、チェックシートを作りなさい、委託業務に係り処理要領を作りなさいといっても、「運転速度を守りなさい」というのと同じです。なぜそれができなかったのか、その原因を調べないと再発防止にはなりませんし、原因調査の名に値しません。

 ところが、委員会はプール以外の公共施設の安全対策に注力しています。どうやら、この委員会(と委員会を実質的に支配していたふじみ野市幹部、及び報告書の作文をした当局の方々)の目的は、プール事故をネタにして市有公共施設にお金を使うことの正当性を表明しようとしただけではないかと勘ぐらざるを得ません。プール事故の被害者や関係者がこの報告書を読んで、いったいどんな気持ちになるでしょうか。プール事故の原因を明らかにしてほしい、再発防止に努めてほしいという、被害者家族や親族の思いに配慮を欠いた提言に私は怒りすら感じてしまいました。

ポジショントーク

 今回のプール事故の責任については現在捜査当局が捜査中とのことで、調査委員会を開催したふじみ野市も業務上過失致死の立件対象になっています。刑事罰の対象になっている行政自らが行う事故の原因究明とは如何なるものなのか。原因追及を進めると自らの罪を露わにする可能性があるなら、追及の手が弱まるのが普通ではないでしょうか。この手の調査は関係者とは独立した形でやらない限り、本当のところはわからないという指摘もあります。したがって、この委員会については当初から期待できなかったのですが、結果は予想通り、いやそれ以下でした。

 今夏ふじみ野市では老朽化の進んだ上福岡プールを休止し、市長が安全だと判断したという大井プールを運転していました。ところが、その大井プールはヒトを吸い込み殺してしまったことはご存じの通り。なぜ市長や市当局は危険な大井プールを安全だと考えていたのか。そこに事件の複雑さをみることができますし、安全管理の判断についての重大ミスをみることができます。大井プールはもともと市長が大井町長だった時に建設されたものと聞いていますが、委員会の議論の中で設計や施工当時の話が一切追及されなかったのはそのことに気遣ってのことなのでしょうか。

また、埼玉県保健所のプール指導要綱管理のまずさや実地調査の欠落など、上位自治体の管理の無責任さについての言及や原因調査は報告書では全くなされていません。プール設計や構造問題だけでなく、プールをめぐる根本的な管理制度そのものにも言及できなかった調査とは、いったい誰のために何のためのものだったのか、私は理解に苦しみます。

ずさんの連鎖の末端に座った委員会

 調査委員会は報告書の「むすびに」において、今回のプール事故を「ずさんの連鎖」と断じました。「連鎖」という言辞は、毎日新聞埼玉支局の高本記者が既に「無責任の連鎖」という記事タイトルで使っていますから(毎日新聞 2006年8月29日)、目新しい用法ではありません。でも、メスメディア各社は報告書の「ずさんの連鎖」を引くことで調査委の調査を正当化しているような気がします。

 問題なのは何が「ずさんの連鎖」を引き起こしたのか、その原因についての調査分析がなされたかどうか。そのことが、この委員会の主たる目的ではなかったのか。でも、それらは報告者にはほとんど記載されていません。後書きでしか事件の本質を述べられない所に本調査委の問題が浮き彫りになっています。もっときつい評価をするなら、委員会自身が「ずさんの連鎖」の末端に座ってしまったともいえましょう。

 ふじみ野市はプール事故で調査委員会を開催するという画期的なことを行いました。また、遅ればせながら報告書をインターネットで公開するという今風のサービスもマルでした。でも、肝心の内容については及第点が出せません。いったい何のための、誰のための調査だったのか。被害者の命を弔い、今後の事故再発防止に繋げるチャンスだったはずですが、内容のない報告書しか出せなかったのは非常に残念としか云いようがありません。

 今回のプール事故を契機に全国の自治体やプール関係者の間で吸排水口問題への危機意識が高まり、その改善に向けていろいろな取り組みがなされ始めています。聞くところでは、プール指導要綱を改訂したり、プール条例の制定まで視野に入れ始めた自治体もあります。それなのに、本家本元、事件があったふじみ野市の報告書がこんな内容では、せっかくの動きに水を差しかねません。

 ふじみ野市は被害者の命を奪っただけでなく、今後の被害者をなくす機会をも消し去ったといわねばなりません。繰り返すようですが、今回の件、調査委員会を作って報告書を公開したという以外、見るべきところがほとんどありません。報告書の内容については「プール吸排水口問題の悪しき先例」として理解しておくべきだと私は断言します。