埼玉プール事故:応急処置は終わったが…

プール事故

ふじみ野市大井プールでの吸水口事件。あの7月31日から既に4週間、プール吸排水口の危険性について世間の認識は広がりました(そう思いたい)。でも、同様の事件がなぜ繰り返されてきたのか、そこが明らかにならないと本当の問題解決にはならないのではないかと危惧しています。事件以降、私自身メディアであれこれ喋ってきましたが、それは応急処置のようなものでしかありませんでした。…

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
たとえばTV。コメントできる時間は限られています。おまけに、各TV局は自ら作り上げたストーリーの中で識者のコメントをはめ込んでいくという作業を行います。その内容が自分の主張とズレがある場合、コメンテーターはどこまで抵抗できるのか。かなり難しい。生なら勝手放題もありですが、録画であればこちらの意向よりもTV局側の都合で話の流れが決まってしまいます。

TVの言いなりに、あるいはその方向と抵触しない範囲を保ちながらコメントできる人は多分重宝されるのでしょう。私はそんなのご免被りますというタイプですが、今回は自分の言い分よりも、二度と同様の事故を繰り返さないで欲しいという観点で各TVの流れに逆らわず乗ることにしました。(TV局毎に視点や整理が微妙に違うのですが、それは機会があれば後日)

ただ、これだけは絶対に云っておきたいという点は何か。じっくり考える余裕はありませんでしたが、短い時間で何を盛り込むかについて、ひとつだけ決めました。1日のお昼過ぎのことです。

とにかく他のプールも吸排水口をチェックしてほしい、
危険な状態ならプールの運用を止めてくれ

ということ。生出演なら最後にこれを絶対に盛り込む。時間が押していても無理矢理入れる。そういう態度で臨みましたが、これは私にしてみれば、とりあえずの「応急処置」にしか過ぎません。もっと時間があるのなら、事故の原因についてのコメントや事件の背後にあるプール行政のまずさについても指摘したいところですが、問題を拡散させず、被害の再発を防ぐことを第一にするのであれば、先のことだけに絞るのがベターだろうという判断でした。

また、ある番組では、

自分のプールが安全であるなら、入り口や受付にその旨を提示し、利用者を安心させてほしい

という提言も行いました。

期せずにして、文部科学省がいち早く全国の所管プールに向けて緊急調査を通達。1ヶ月前の発表ではわずか十数校の不備のはずが、改めて調査したら2000箇所前後。文科省大臣をして「誠に衝撃」の結果となりました。おまけに、ウソ報告や報告捏造まで飛び出し、プール行政に関わる教育委員会などの無責任さを露呈したのはご存じの通り。

困ったことに、不備が見つかってもプールを止めない所が出てきたり、勝手な安全基準で国の最低基準すら反古にするプール管理者が全国津々浦々にゾロゾロ現れました。さすがに国も呆れたのか、問題プールを原則使用中止にする方針を打ち出し(8月8日)、8月15日には、「プールの安全確保についての自主点検結果を報告するよう求める文書を都道府県教育委員会や国私立学校などに出した」とのこと。報告内容は、「自主点検の結果を施設に掲示しているかどうかや、排水口のふたの固定状況など」(共同通信8月16日)ですが、そんなことは国に云われなくても、プール管理者である学校や自治体が進んで行うこべきこと。要するに、多くのプール管理者は利用者の安全などは真剣に考えていない証拠です。

さて、吸排水口の調査が終わり、フタの固定されていないプールや吸い込み防止金具がついていない「あぶないプール」が数多くあぶり出されました。学校名やプール名が必ずしも公開されていないのは利用者側からすると納得できませんが、それらの不備を解消すれば「安全なプール」になるのでしょうか。

とりあえずは大丈夫でしょう。でも、プール管理側に危険認識が持続しなければ、いつかまたフタが開いてヒトを飲み込みます。オーバーではありません。掃除や点検補修等でいつのまにかフタが開いてしまうこと、そのことが今までの事故例で証明されています。今後大切なことはフタの固定というハード面の対策と、その安全対策を持続させながら万が一に備えるソフト面の双方です。つまり、応急手当だけではまだ問題は解消されません。

さらに、それ以外にも今回の事件を通じて新たに注意を払うべきことも出てきました。たとえば、

  • 流水プールの吸排水口については設計段階から問題あり
  • 吸排水口の危険性を放置してきた保健行政やプール条例作りの必要性

 原因がはっきりしないと被害者や遺族は納得できませんし、他のどこかで同様な事件が繰り返されることになるでしょう。ふじみ野市は被害者への謝罪の気持ちが本当にあるのなら、私が先日来指摘しているようにプール設計段階の問題から明らかにし、(不備があったのなら)自らの責任を認めるべきです。そして、被害者側が裁判に持ち込まずとも事件を収束できるような道筋を選んでほしいと強く願っています。