時代は変わる?

Water

ボブ・ディランの歌に「タイムズ・ゼイア〜・ア・チェインジン♪」というのがあります。ここ最近のニュースを見ていて、その歌のことが頭に浮かびました。
京都新聞インターネット版によると、「滋賀県は来年度から、琵琶湖の赤野井湾(守山市)流域の河川などで、年間を通じた水質調査に乗り出す。琵琶湖で最も水質が悪い同流域(2900ヘクタール)を「モデル地域」として、農業排水や降雨時に道路から流出する汚水を含めた総合的な汚濁負荷を調べ、新たな水質改善策を探る」(2005/02/15)とのこと。私たちが約20年前に提案していたことがやっと陽の目をみるのかとの思いがしますが、時代は変わったのでしょうか?…

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当時、滋賀県と水資源開発公団は琵琶湖総合開発の名のもとに湖岸を浚渫してヨシ帯を破壊していました。要するに湖をダム化することに専念していたのです。リン入りの合成洗剤を禁止する条例を作った武村県政の時代のことですが、武村は一方で琵琶湖生態系の破壊事業の推進者だったことも記憶に留めておかねばなりません。おっとまた脱線しそうだ。

琵琶湖の生態系を健全に保つにはダム化事業を辞めて、湖岸のヨシ帯や内湖の状況をよりよいモノに作り変えていくことが大切だ、というのが私を含めて琵琶湖環境訴訟団のメンバーの提言の一つでした。

でも、それは適いませんでした。当時の湖を知るであれば今の状態がいかに悲惨なものかはわかります。だから、ほとんどヨシも何もなくなってしまった頃になってヨシを守ろうというのは如何なる意味をもつのか。琵琶湖の湖岸を壊しておいて、さぁ湖岸内湖の水環境が大事だ大切だというのは、私にはブラックユーモアにしか聞こえません。少なくとも、良い方向に時代が変わったのではなさそうです。

もうひとつ。最近、大阪府と大阪市の水道事業の摺り合わせが行われているそうな。どちらも淀川から取水し、同じような場所で浄水し、大阪府内に送配水しているので無駄をなくしていこうというものらしい。さっきも民放TVでそのことが触れられていました。

私事ながら、私が大阪府水道部を辞めたのは90年の6月でしたが、当時はバブルの頂点で巨大プロジェクトいけいけの雰囲気だった頃。水需要が頭打ちになっているのは明らかなのに大規模工事を興して和歌山県からさらに取水しようとしたり、水質をよりよいモノにしてほしいという住民の願いを巨額の大プロジェクトの推進理由にしたり、とにかくお金を使うのが第一だといわんばかりの時代でした。後々の債務を考えるならもっと安価で確実な方法を選ぶべきではないかというのが私の考えでしたが、そんなアイデアは当時はオワライグサにしかなりません。私が大阪府水道部を辞めた理由はいろいろありますが、このまま行ったらいずれ財政破綻する、この水道事業には未来はないと考えたのも一因でした。

イケイケ方針と慎重論のどちらに歩があったのか、云うまでもありませんね。10年もしないうちに私の予想が当たっていたことが明らかになり、大阪府の赤字再建団体化もだんだん多くの人に見えてくるようになりました。その水道事業が今度は大阪市との摺り合わせで無駄を省くとのこと。どうにしかして行政のスリム化を図り、財政再建を図りたいという目論見なのでしょう。そういう意味では、90年前後とは時代は変わったのかもしれません。でも、当時の責任を放置したままの再建策では、おそらく双方にとって都合のよい利権の奪い合いになるだけ。たいした効果は生まれないでしょう。役所ってそんな処です。この国の水道事業を本気で再生しようというのなら、拙著で提言したパラダイムの転換を図らない限り道はありません(きっぱり)。

時代は変わるといえば、1975年にサイゴンが陥落してベトナム戦争での米国敗戦が確定した時のこと。ベトナム民衆の勝利は歴史の必然といったコウサカという大学教授がいました。米国が負けると決まったら急に手のひらを返したのか、そう怒って私に手紙を送ってきた友人がいました。歴史の必然とはその歴史を作り出す民衆の努力があっての必然だ。その友人が付け加えていた文言を、私は機会ある毎に思い出します。その通り。

時代は変わるといっても、変えようとする意志とその努力のないところでは変わりません。それを忘れ、表面だけを取り繕ったりして誤魔化す人たちの動きには要注意。また、私たちの方も目の前のマヤカシ事象だけを追って「時代は変わった」などというのではなく、変えようという主体になるにはどうしたらいいのか、そのことを考えなければなりません。