地震発生確率の大いなる曖昧さ

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公認「地震予知」を疑う数年前からメディアで地震発生確率について触れることが多くなってきました。「今後30年以内に何某%で大地震が起きる」という話のことですが、その根拠や意味するところについて少し調べてみたら、何とまぁ曖昧で作為的なことか。呆れてしまいました。地震危険率の思惑とはいったい何か、皆さんも是非考えてみて下さい。…


まず、参考にしたのは主に次の2冊です。

(1)島村英紀 著 “公認「地震予知」を疑う” (柏書房 2004/02/29)

(2)鈴木 康弘 著 “活断層大地震に備える”( ちくま新書 2001)

曖昧な危険率

地震発生確率とは何か。この危険率の根拠はどうなっているのでしょうか。琵琶湖西岸断層帯の危険率で話をしてみましょう。拙宅はこの断層帯付近に建っていますから、ずっと気になっていました。政府の地震研究推進本部は、滋賀県大津市から高島市マキノ町までの約59km続く本断層帯において、「M7.8の地震の発生確率が今後30年以内に0.09%〜9%」と発表しています。

(1)の本によると、本断層帯をトレンチ法という方法で調査したところ、今までの地震間隔は1900年から4500年毎。また、一番最近の地震は2400年から2800年前に起きたものだとわかったとのこと。周期が1900年で、一番最近のが2400年前なら500年前に起きたはずですがそれはなし。また、周期が4500年なら次の地震はまだ2000年以上先のことになります。つまり、このデータに基づく推測自体、「大きな曖昧」なのだと島村さんは説明しています。

では、なぜ「今後30年以内に0.09%〜9%」という数値になるのでしょうか。1900年に一度大地震が起きるとしたら、その発生確率は単純に考えると年当たり0.000526…ですから、30年以内の危険率は0.0158、つまり約1.6%となります。でも、実際には過去に起きた地震からどれだけ時間が経過しているのかを考慮しなければなりません。これは、地震発生の確率分布を仮定して計算することになります。

活断層大地震に備える(2)の本によると、政府の地震調査委員会はこの確率分布としてBPTモデルを推奨しており、最新活動からの経過年数と平均活動間隔から危険率を算出する簡易計算表を作成しているとのこと。そこで、(2)に載っていた簡易計算表に先のデータをあてはめると、たしかに「今後30年以内に0.09%〜9%」前後になります。これで数値の根拠はわかりました。

でも、この数値の妥当性はいかほどなのか。危険率として0コンマ0数%から9%と3桁もの幅があるのでは精度が高いとはいえません。むしろ、この時間幅の議論では、大地震があるかもしれないし、ないかもしれない。数百年オーダーなら深刻に考える必要もない、と云っても何ら問題なしではないでしょうか。

地震への不安で誰が得をするのか?

仮に10%の危険率としても、それは日常の危険性としてどれくらいの重みを持つのか。そもそも、その危険率を知ることで私たちはいったい何をしたらいいのでしょうか。(1)の島村さんの本では、家を建てるべきかどうか、転居すべきかどうか、危険率を発表した政府当局も答を持っているはずがないと厳しく指摘しています。

メディアでは地震発生確率の根拠を説明していたでしょうか。琵琶湖西岸断層帯の地震確率の報道の時、少なくとも私はテレビや新聞で、その根拠を見たことがありません。私自身、琵琶湖西岸断層帯の上に住む者として、先の地震発生確率9%の報道に対して、いったいどう考えたらいいのか正直わかりませんでした。でも、先の曖昧な根拠を理解し、深刻に考えても仕方がないくらいものだ(つまり、あてにならないものだ)と納得した次第です。

危険率の算出根拠も知らせず、危険だ危険だとメディアが吹聴したら、誰が得をするのでしょうか。おそらく住民のほとんどは地震に対して何かしなければならないという不安に駆られ、行政の打ち出す対策めいたものに否応なく賛同させられていくのではないでしょうか。

琵琶湖西岸断層帯でいえば、滋賀県の大津市・高島市のどちらもが合併特例債を当て込んで耐震設計の新庁舎建設をめざすとのこと。地震が起きるというのなら、耐震庁舎ではなく、地震が起きても遮断されない(すぐに復旧できる)最低限の通信交通手段の確保を第一にすべきだと私は考えますが、庁舎だけ耐震にして、はたしてどれほど役に立つのでしょうか。行政当局の狙いは、地震騒ぎに便乗した土建利権の確保ではないかと勘ぐってしまいます。

地震とつき合うために

地震の発生確率の算出には大きな曖昧さがあるとしても、地震は起きないと断定することは誰にもできません。阪神淡路大震災の例でもわかるように、起きる時には起きます。また、活断層がなくても大地震が起きることも、先の新潟地震で明らかになりました(当局はあまり触れたがらないようですね)。

問題は、地震が起きた時、それが大きな被災になるのかどうか。それは、地震の大きさではなく、街のありようや、住人の日頃からの考え方、生活方法に大きく関係してくるはずです。その昔、寺田寅彦さんがいった言葉で引くなら、「地震の現象と地震による被害とは区別して考えなければならない」からです。根拠の曖昧な危険率で変な方向に誘導されないためにも、私たち一人一人が「地震とのつきあい方」を身につけていかなければならないようです。

ついでながら、島村さんのお書きになった(1)の本は非常に面白い内容が満載です。まず、地震予知の危うさを見事に明らかにしてくれますし、いつのまにか姿を消した地震予知連の実態や、まるで戦前に戻るかのような地震対策や自主防災体制の強化についての当局の狙いにも触れています。

本の帯には「お役人 彼らに命をあずけてはいけません」とありました。地震をめぐる役人や学者の利権争いや無責任さによって、私たちの社会が危うくなっていることも辛辣に、そして的確に指摘されています。著者の島村さんは北海道大学教授で地震火山の専門家ですから、内容の重さが違います。お薦めです。