ダ・ヴィンチの眼

.opinion

レオナルドといえば、ブラジルセレソンで元アントラーズそして前インテル監督を思い出すのは私だけじゃないでしょうが、サッカーではなく絵画の話。ヴィンチ村のレオナルド、いわゆるレオナルド・ダ・ヴィンチさんの方です。

「最後の晩餐」って変な絵だと思いませんか? 何かおかしくないですか? 昨年ミラノで「最後の晩餐」を見て、「やっぱりこの絵は変だ!」と思わざるを得ませんでしたが、その翌日別の美術館であっさり謎は解けました。

・・・

最後の晩餐、イタリア語では「カナコロ・ヴィンチャーノ」。イエス・キリストの最後の夕べに、12人の使徒たちが一同に集まり、同じテーブルで皆で食事をするという絵です。現在、長年の修復を終え、ミラノにあるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の隣に設けられた専用展示場に収められ、時間予約で鑑賞することができます。

私たち夫婦が訪れたのは昨年秋。数ヶ月前から予約して30分前に来いと指定され、見るのはたった15分だけという厳しいスケジュール(笑)。それでも行って見て良かった。ただ、実物の大きさに圧倒されながら、長年の疑問がふつふつと湧いてきました。

だって、イエスが主人公なら、その人物を囲んでテーブルに座るのが普通じゃないんですか?なのに、横一列なんて、ぜ・っ・た・い・におかしい。テーブル一列に並んで食事する人たちって何かおかしいよ。

こどもの頃から違和感がありましたが、その違和感がテーブルの座り方だと気づいたのはずっと後のこと。いろいろな解説を調べても、絵の中で誰がおかしな動きを見せているとか、誰と誰が密談をしているようだとか、そんな話ばかり。美術評論でも、うしろの窓が遠近法になっていること、それを描き込んだダ・ヴィンチがいかに優れた画家であったことを小難しく教えてくれるだけ。テーブルの一列座りは、みんなにとっては当たり前のことなのでしょうか。私が変なのかなぁ。

この絵はやっぱり変だぞって連れ合いに云いながら、その奇妙さをうまく説明できないもどかしさ。説明便秘もホンモノに劣らずで苦しいものです。

ところが、翌日ミラノのブレラ美術館に行って、あっさり疑問が解けました。その絵とはレンブラントの「カナコロ・ヴィンチャーノ」」、つまり「最後の晩餐」です(右の絵)。有名な話だから、いろんな画家が手がけているんですね〜。

絵葉書をスキャンしたものですが、こちらの座り方が普通じゃないですか。でも、レンブラントの絵はあまりにも当たり前で、誰が見てもテーブルを囲んだ食事の1シーンでしかありません。レンブラントをけなすわけではないのですが、現実的ではないレオナルドさんの絵の方がなぜか記憶に残ります。

そんなことをあれこれ考えていて、あぁ、そうか! わかりましたゾ。

舞台上でカナコロを演出しようとするなら、観客からすべての出演者が見える方がわかりやすい。一列に並んで食事をするなんて現実的ではないけれど、もし観客が同じテーブルの対面にいるのであれば、そういう見え方は不自然どころか普通のものになり得るはずだ、とレオナルドさんは考えたのかもしれません。

写真的にいえば、イエスの対面になる側のテーブルにカメラを置いて超広角レンズで撮影し、両端の歪みを消し去るように補正していけば、レオさんの絵画のようになるはず。

おそらく、レオさんは対象となる視界の幾何学空間を変えてしまうことで自分なりの構図を考え出し、目的の絵を印象づけようと画策したのではないでしょうか。いや、そうに違いない。後世に残したテクニカルスケッチなどを見ると、彼なら視点の座標変換や空間変更なんか容易くやってしまいそうですし、ね。

要するに、レオナルドさんの「最後の晩餐」が時間を超えて生き続けている理由は、実在の3次元空間を無視した構図にある、というのが私の結論。推測が当たっているのかどうかはあの世でレオナルドさんに聞かないとわかりませんが、また1つこどもの頃からの疑問を解いた気分です。