1703年から1707年

.opinion 3.11

私たちはいったいどんな時代を生きているのでしょうか。明日が今日とは全く違った日になるなんて普通は考えません。約300年前の出来事を題材にして、この思い込みの危うさを考えてみましょう。

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話はいっきに約300年前へ。1703年に何があったか。といっても何の年だか知っている人は少ないでしょう。かくいう私も311以前は考えてもみませんでした。赤穂浪士の討ち入りが1702年で(旧暦)、大石一派の切腹が1703年というと親近感も出てくるでしょうが、そんな話ではありません。

1703年には大地震が起きました(注1)。通称「元禄地震」と呼ばれ、M7.9〜8.2。川崎から小田原あたりまで壊滅的被害となり、壊家8千以上、死者2300以上。また津波は犬吠埼から下田まで襲い、死者数千。1923年の関東大震災に似た相模トラフ沿いの巨大地震でした。でもこれでオシマイではありません。

(注1)当時は陰暦で元禄16年11月23日、以下、日付は新暦換算にしています。

翌1704年4月はM7の地震が発生。羽後、陸奥、能代で被害が大きく、家屋倒壊435、焼失758等。1705年、1706年にも小規模な地震が記録されていますが、さらにもっと大きな地震がその後にやってきます。

1707年10月28日、わが国最大級の地震「宝永地震」が発生。M8.4。地震は東海道、伊勢湾、紀伊半島で最もひどく、少なくとも死者2万人以上、潰家6万。津波は紀伊半島から瀬戸内海、九州までを襲い、流出家2万。今でいう東南海沖が震源の大地震ということでしょうか。でも、まだ話は続きます。

わずか49日後の同年12月16日、富士山が大噴火。その火山灰は遠く江戸まで及び、川崎付近で5cmに達したそうな。記録を覗くと、1700年代はこれ以降もM6〜M7クラスの地震が頻発しており、なかなか大変な時代だったようです。(以上、出典は理科年表(丸善)や日本史年表(岩波書店)等)

それでも今があるのは、私たちの先祖が大災害にもめげなかったからというべきなのでしょう。でも、当時は原子力発電なんてものはありませんし、災害後に放射線による長期被曝で悩まされるということもありませんでした。

私たちは普通、明日は今日とはあまり変わらない、そう考えます。太陽が昇り、そして暮れ、その繰り返しの毎日が当たり前なのですが、それが単なる期待であることに思い知らされる時がときどき訪れます。1995年1月17日や2011年3月11日がそうです。

そんな自然の揺らぎに前もって対処できれば良いのですが、地震や災害の発生はメカニズムが複雑系で、その発生頻度も「べき乗則」のような分布になるため、予測はほとんど不可能です。おまけに大地震が起きたら、もうしばらくは起こらないだろうと考えがちですが、1703年からの経験はその淡い望みを打ち砕きます。

私の意見をいえば、大きな自然災害が起きてもそれなりに受け流せるような暮らし方や社会の仕組みを作るのが肝要というものですが、それでは後ろ向きだとか、成長が妨げられるとか、そんな意見の方が大きな声になるようです。

でも、不可避な自然災害に原発が加わったらどうなるでしょうか。今まで地震や津波でご破算になっても何とか復旧復興はできました。そこに放射線被曝が加わり、それがいつ終わるとも知れないような状況になるとどうなるか。まず、私たちは復旧復興のタイミングさえ掴めません。また、いったん放射性物質に汚染されてしまえば、その土地利用には重大な支障をきたし、農産物や畜産物、水産物を食することにも数十年数百年という時間がかかるとしたら? 

今福島で起きていることは、まさにこれです。このまま炉心の冷却化が進まず放射性物質の放出が続いたらチェルノブイリ原発事故の被害規模にどんどん近づいていくことでしょう。

一度起きたら対処がきわめて困難になるような災害をリスク管理できると考えるのはヒトの傲慢でしかありません。そのことを考えれば、原発からは1日も早く手を引くことが大切です。二度とこんな事態が招来しないように努めるべきなのです。今の時代が、もし1700年代のように地震や津波が毎年のように頻発するのであるなら尚更大変なことになってしまいます。

東電福一原発事故が起きても、そのことがわからないなら、この国の未来は早晩なくなります。私はそう考えます。タレブ風にいえば、「果ての国」で「月並みな国」の論理をふりかざすのは意味がなく、愚かの極みというものですから。