ヒバクを強制される側の視点(その2)

.opinion 3.11

放射線の被曝影響にはしきい値(あるいは、いきち:生体影響をもたらす最小値)があるのか、ないのか。科学の世界では後者、つまりしきい値はなく、放射線は少なくても少ないなりの悪影響がある、ということが明らかになっています。しかし、TVに出てくる学者はそうではないらしい。なぜでしょうか。少し歴史を紐解いてみましょう。

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最近メディアを賑わしている、原発から放出されたヨウ素131や放射性セシウム137のような物質は放射性同位元素(あるいは放射性同位体とか放射性核種)と呼ばれ、これらはより安定な物質へ放射線を発しながら崩壊していきます。放射能というのはその時に発せられる放射線の強さ。この放射線がヒトに悪い影響を与えることは、1930年以前から突然変異を研究していた遺伝学者らによって明らかになっていました。ちなみに、ベクレルが使われる前の単位だったキュリーはキュリー夫人の名前からとったものですが、彼女の死因は白血病。おそらく放射性物質を扱った実験のせいでしょう。

当初、放射線の被曝影響には一定のしきい値があり、それ以下であれば害はないという考えが提出されていました。でも、これでは微量放射線による突然変異を説明できません。しきい値以下でも不可逆的に遺伝子を損傷させてしまうからです。

そこで、戦後つまり広島長崎の後にヒバクを強制する側が編み出したのが許容線量というリクツでした。これは、放射線に敏感な人には影響があるかもしれないが、平均的な人間に目立って現れなければ問題なしという危険線量を設定すればよい、というものです。普通の人や関連労働者が一定程度の被曝を受けることを是認するというもので、実質的に影響の大きな乳幼児を切り捨て、一般人と放射線業務従事者の被曝を分離することで成り立っています。要するに、原子力開発を進める人たちにとって都合の良い政治的経済的な言い訳のようなもの。

ところが、広島長崎に落とされた原爆の放射線の強さがそれまで報告されていたものより小さかったという事実が、1980年代半ば過ぎになって米国側から明らかにされました。この経緯は話がややこしくなるので横に置くとして、これを境に被曝研究は大幅な進展を見せることになります。

一定のしきい値以下であれば被害はないだろうと楽観していた人たちにとっては寝耳に水。一方で、低レベル放射能の危険性を指摘してきた人たちや発がん性物質の危険性を研究していた人(私もその末端)にとっては当たり前のことがやっと理解されるようになったなぁと当時感じたことをよく覚えています。

いずれにしても、それまで考えられてきたよりも小さな放射エネルギーでがんや白血病などの被害が起こることが公式に認められたわけで、それは同時に広島長崎の被曝者の広範な病状の再検討に繋がり、原発などの原子力開発にも見直しを迫ることになりました。

改めて広島長崎の被曝調査の検討が行われる中で、低いエネルギーの放射能(低レベル放射能)でも人体にいろいろな影響が出ていることが明らかになり、チェルノブイリ原発での事故調査等からも被曝の実態がより鮮明になってきました。それらの調査をふまえ、国際放射線防護委員会(ICRP)は低レベル放射能にもしきい値はない、少ない放射線被曝でもそれに応じて影響ありという考え方(LNT;しきい値なしの直線モデル)を採用することになります。

最新のICRP2007年勧告では、このしきい値なしの直線モデル(LNT)を妥当とし、確率的な評価の下に被曝線量の計算を行っています。その結果出てきたのが、1シーベルト(1Sv)あたり5.5%のリスク。これは10万人が1Svの被曝を受けた場合、一生涯でがんで死亡する人が5500人増えるという意味です。1ミリシーベルト(1mSv)の被曝なら、一生涯で5.5人(5.5 x 0.01 x 0.001 = 5.5 x 10^(-5))、がんで死んでしまう人が増えるということになります。さらにいえば、一生涯70年として年間1mSvの被曝なら、10万人あたり約400人の人にがんが増えるという計算になります(5.5 x 70 = 385)。

ICRPの見解ではがん以外の疾患にはしきい値があるとしていたり、予防原則的な考え方は一切採用していません。でも、ICRPやWHO(国際保健機関)が一般人に対する人工放射線の線量限界値を年間1mSvに設定していることは是非覚えておいて下さい。

年間1mSvという線量は1時間値に換算すれば、約0.12マイクロシーベルト。今回のように福島第一原発から飛散している放射能で被曝される地域においては、これを超える被曝線量はざらですし、文科省の発表でも24時間積算値で1mSvを超える(つまり、たった1日だけで1年間の線量限界値を超える)地域が出ています。これは明らかに異常事態で、とても安全だと云えないのですが、TVや新聞はそのことを正確に伝えていません。80km圏内から退避命令を出した米国やフランスの対応の方がよっぽど理があると私は考えます。

あろうことか国では一般人の被曝基準を年間1mSvから20mSvへ大幅に引き上げて安全を偽装しようとしています。これは本末転倒。まさに基準とはヒバクを強制する側を正当化するものであって、強制される側の安全性を担保するものではないことを如実に示しています。

ヒバクを強制される側の視点(その1)
ヒバクを強制される側の視点(その2)
ヒバクを強制される側の視点(その3)
ヒバクを強制される側の視点(その4)