パフォーマンス? ふじみ野プール事件その後

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たまたまググっていたら、1年前の新聞記事を発見。あの悲惨なプール事件を起こしたふじみ野市の市長交代で過去の責任を問う動きがあったとか。でも既に1年経っていますが新しい動きは伝わってきません。選挙の時のパフォーマンスだったんでしょうか。

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「市営プール事故で小2女児死亡(埼玉県ふじみ野市) 市長交代で再検証へ」(2010年1月12日 東京新聞)によると、2009年秋の市長選挙で前市長のプール事故責任が問われ、新市長が700票余り差で勝利し、「初当選した高畑博市長は「前例踏襲しておけばいいというなれ合い体質があったのではないか」と指摘。報告書は不十分とし「業者委託の仕方、業者の選び方などについて真相究明を図りたい」と再検証し職員の意識改革を進めたい考えだ」とのことでした。

まぁ政党公約でも著しく後退しますし、選挙時のハナシをまともに信じる方がバカをみるというような世の中ですが、この件で思い出すことありで、少しコメントしておきましょう。

事件は2006年7月31日、埼玉県ふじみ野市の市営プールで小学校2年生の女の子(当時)がプール吸水口に吸い込まれ、死亡したというものでした。直接の原因は吸水口にあるべき安全柵がはずれており、いつ誰が吸い込まれて死んでも不思議ではないという状況が放置されていたのですが、なぜそんな危ない状態が放置されていたのか。

監視員が問題だ、ライフガードのような熟練の監視員が必要だという趣旨の番組を作ったりするTV局がありましたが(どことは云わんけど)、それは状況を知らない人が頭で考えただけ。吸い込まれたらアウトですし、監視員が見ていたら吸い込まれない等という単純な危険性ではありません。

プール管理者はきちんと管理していれば問題は起こらなかった? たしかにそうでしょう。でも管理者側に危険の認識がない限り、この観点では問題の根は掘り起こせません。どちらにしても本当の原因ではないと私は考えていますし、そのことは既に指摘した通り。

この事件については当該プールの関係者が刑事罰に処せられましたが、事件当時の名目だけの責任を問うても本当の問題は見えてきません。だって、当初から吸排水口の問題が存在し、それが放置されてきたのは「管理」の問題ではないから。そういう面では警察も裁判所も「無責任の連鎖」の一端に座ってしまったというべきところです。

私が当時指摘したのは、当初のプール設計の杜撰さとそれを放置していた行政責任です。(このサイトで「ふじみ野市」で検索して下さい。わんさか書き込みが出てきます)順番に行きましょう。

1)事件プールは合併前の旧大井町の町営プールとして建設された。当時の町長は後のふじみ野市市長、つまり前市長。
2)建設当時のプール図面には安全柵の記載がなかった。初めから誰が吸い込まれても不思議ではないプールの構造だったというわけ。その設計者の名前や建設会社の名前もはっきりとわかっています。
3)当時の誰かがこんなプールでは危険だと考え、急ごしらえの鉄柵を設けた。
4)その鉄柵の留め具が腐って針金で固定し直した。でも、その針金もはずれ、事件当時を迎えた。

これがプールに悪魔の穴が開いていた経緯です。4)の時点以降で針金の管理を怠ったとか、吸排水口の危険性を放置していたとかで事件当時の管理者だけを罪に問うことがいかにバカバカしいことか、わかっていただけますでしょうか。事件当時の行政管理者の肩を持つわけではありませんが、言い分多々ありということでしょうか。私に弁護させてくれたら、彼らだけの責任ではないと法廷で演説をぶったはずですが、お呼びはかかりませんでした。

プール建設や管理に関わった業者は前市長や前市長を支える議員らの後援支援団体に入っています。これは市長らの政治資金報告書で確認できます。ということは、市長が当時の危険性放置や仲間らの責任を掘り返すようなことを積極的にはしたくなかったはず。心情からすれば当然です。だからこそ、一昨年の選挙で責任の再検証などというハナシが出てきたのでしょう。

でも、その話が選挙時のパフォーマンスでしかなかったのなら、被害者の女の子やその家族らの無念さを利用しただけと。今の市長がそうであるとしたら悲しいことですね。たまたま読んだ1年遅れの新聞記事にいや~な感じを持ちました。

再検証でも何でもいいので、ふじみ野市のプール事件の本当の原因を追及して欲しい。ふじみ野市の事故報告者には、プール構造の瑕疵についての私の解析が引用されているにもかかわらず無視されてしまった経緯もあり、何かしら忸怩たる思いを引きずったままになっているので尚更です。

本当は何があの事件を引き起こしたのか。それを明らかにすることが死者に対する最大のお悔やみだと思うのですが……残念。