住宅病はなおらない

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石山修武  著  晶文社 1993.3.30

自宅作りに参考にした本やヒントになりそうな本を少しづつ紹介していきます。まずは、石山さんの本です。

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zyutakub.jpg建築家の石山修武さんといえば、けったいなコルゲートハウスを作る人というイメージを私は持っていました。この手の建築家は住みやすさよりも奇抜さの方が問題なのか、そうも思っていました。
ところが、ある日たまたまTVで、自宅屋上を畑にして、そこで生ごみ・コンポストをしているのを観てしまったのです。屋上緑化という流行に流されず、地面があるなら穴掘って生ごみ・コンポストという発想が私にはとっても新鮮でした。生ごみ・コンポストをする人はたくさん知っていますが、自宅屋上で行っている人は(私の知る範囲では)この方がはじめて。こりゃ、面白い人だな・・・、その時直感的にそう感じたのです。

数日後、昔の雑誌を整理していて見つけた書評に「住宅病はなおらない」という本が出ていました。ふ〜〜〜ん、意味深なタイトルだなぁと思い、著者名をみると、石山修武。あらあら、これは何かの偶然なのか、それとも天の啓示なのか。この建築家の著書を読みたい、読まなければならない、なんて強迫観念まで出てきました(苦笑)。とある古本屋の蔵書リストにあるのを見つけ、早速注文し、一気に読み込みました。

結論からいえば、非常に有意義で面白かった。自宅を建てる前になぜこの本を見つけられなかったのか悔しい思いをしたくらいです。でも、この本が売れなかった理由もよくわかりました。だって、家を建てるのが商売の建築家が「家を建てるな」と云っているのですから。家を建てようと気合いを入れている人からは当然嫌われてしまうでしょう。でも、それを乗り越えて読もうという人には、きっと家づくりの新境地を開いてくれるのではないでしょうか。私はそう確信します。

本の内容を少し紹介しておきましょう。この本は著者がいろんな所に書いた文章の寄せ集めのせいか、内容に重複があったり、主題の一貫性がいささか薄くなっています。でも、その分を割り引いても、中味は実に刺激的で、なるほどなるほどと頷けたり、そうやそうやと拍手を送りたくなる箇所が多いのです。たとえば、

・家は内としての密室となって町の気配を感じたりすることもなくなった。
・大工さんが家を一軒一軒手作りするのをやめたころ、工業化住宅が現れはじめた。住宅が生活の道具としてよりも、商品としての性格を強めていく。・・・
・住宅の広告からは、町の姿が一切消されてしまっている。
・もしかしたら私たちの家は、人間が暮らす場所というよりも、モノが棲みつくための場所になっているのではないか。
・左官職は水の職人なのである。・・・町から左官職人の姿が消え始め、私たちの町は水気を失っていった。しっとりとした家々は、ツルツルピカピカの新建材の山と化した。

ページをめくってみると、上記のような「決め文句」が至るところに登場します。これが非常に小気味よく面白い。でも、それは家を建てようと思う人にとっては他人事ではない。あれこれ考えさせられてしまう。そこが著者の狙いなのかもしれません。

さて、タイトルになった「住宅病」とは何か。本の中でも明確にこれこれですと書かれた箇所はありません。ひょっとすると出版社や編集者が考えたタイトルなのかもしれませんが、著者はさまざまな「症状」を提示することで、読者の中に潜む「住宅病」の病根を自ら洗い出していく作業を要求してきます。家づくりに安直な回答を求める人には役に立たない本になるかもしれませんが、真摯に考えようという人には含蓄の深い、いい本になることでしょう、きっと。

私はこの本を読んだ後、石山さんの著書を2冊さらに読みました。それぞれ面白い本ですが、やはり「住宅病はなおらない」を推します。

夢のまたゆめハウス 

この本は説明してしまうと面白みがなくなります。ご本人は「建築家としては書いてはならぬ本を書いてしまった」と後書きで記しています。その意味は読んだ人のお楽しみ。でも、こういう書き方で物事を説明をする方法はなかなか。

建築家、突如雑貨商となり至極満足に生きる

右下は、家づくりと商いとをいっしょくたにしようとしたいきさつを書いたもの。家づくりの値段のことを考えていると、いつのまにか流通の不思議さが面白くなって、雑貨商をはじめてしまったという話なのですが、私自身、雑貨商には憧れがあって、文句なく共感してしまいました。でも、家づくりという観点からは???な本です(苦笑)。