「廃棄物列島」に寄稿

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廃棄物を考える全国交流誌「廃棄物列島」142号(「廃棄物を考える市民の会」発行)に、拙稿「<滋賀県志賀町>反対派町長の誕生とその真相」が掲載されました。

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反対派町長の誕生とその真相(滋賀県志賀町)

新しい志賀町を求める会世話人 有 田 一 彦

 昨年10月、私の住む滋賀県の小さな町の選挙結果が全国のマスメディアで流れました。曰く、滋賀県志賀町ではごみ焼却場に反対する町長候補が推進派の前町長を破って当選した、ごみ焼却場反対派の勝利だ、という内容です。本誌『廃棄物列島』141号の新聞記事欄にも、朝日新聞2003.10.20の朝刊社会面の「産廃反対の新顔、山岡寿麿氏が当選 滋賀県志賀町出直し町長選」という見出しが紹介されていましたから、ご記憶の方もいらっしゃることでしょう。でも、実情はかなり複雑で、手放しで喜ぶことなどできないというのが筆者の実感です。

公募という公約を破って候補者選出

 この問題の発端は約3年前。滋賀県は国の広域ごみ処理政策を実施するべく、2001年に志賀町内の土地約18ヘクタールを強引に買収し、一般廃棄物(一廃)と産業廃棄物(産廃)を混ぜて燃やす大型焼却炉の建設計画を進めてきました。滋賀県の計画では、大津市など県南部7市町の産廃と一廃合計1日300トンを焼却できる施設の建設を予定しています。全国どこにでもあるような広域ごみ処理計画ですが、特徴的なのは既に用地買収が済んでいるという点です。
 この計画に反対する志賀町地元住民は、住民投票条例案を提出する運動をしたり(2002年6月に町議会で1票差で否決)、数々の運動を展開してきました。そして、計画推進を唱えていた北村正二前町長を解職(リコール)することに昨年8月31日に成功しました。
 共産党系を中心として結成された「新町長を誕生させる会」は、町内全戸配布のチラシで新町長候補者を公募で選ぶと宣言し、「選考委員会」を組織しました。この公募に対して住民5人が応募しましたが、共産党系の人たちは共産党系の某氏を候補にしたいと主張。共産党候補では選挙に勝てないと抗弁する自治会系の人たちや「市民派」と称する集団と真っ向から対立し、候補者が決まらずに泥試合となっていきます。
 候補者決定予定日から2週間以上過ぎても候補者が決まらない状態のため、筆者が世話人をしている「新しい志賀町を求める会」(以下、求める会)は、「選考委員会」に対して応募者の中からクジ引きで決めることを提案しました。しかし、あろうことか、「選考委員会」は、応募もしていない山岡寿麿氏(選考委員会議長 66才)を候補者に決定してしまいました。共産党系は自分たちがうしろで操れる候補を選び、非共産党集団は共産党ではない候補を勝ち取ったつもりだったようですが、本来なら、選考委員会議長の山岡氏は泥仕合になった責任をとって辞任すべきでした。
 たとえで考えてみましょう。のど自慢コンテストで、出場者を公募しておきながら、歌った応募者たちからは誰も優勝させず、歌ってもない司会者が自ら優勝したとします。こんな話、誰が考えてもめちゃくちゃです。これが、先の町長候補者の決定過程。「候補者を決める」ことを優先し、公募で選ぶという公約を破った非常識な展開でした。

地域エゴ発言

 驚いたことに、候補者になった山岡氏は立候補時の記者会見で、ごみ焼却場は「どこかに作る必要がある」とし、「産廃処理施設は志賀町にはいらない。どこか別の場所で進めてくれ」という発言を始めました。この発言、どう考えても「地域エゴ」ではないですか。哀しくなるやら、恥ずかしくなるやら、とんでもないことになってきました。
 反対にもいろんなカタチがありますし、迷惑施設を近くに作ってほしくないという個人的な気持ちは、まぁわからないでもありません。でも、自治体の首長になろうかという人物がそれを言い出せば、どういう意味を持つのか。「ごみ焼却場は必要だが他所で作れ」では、近隣自治体の人たちには説得力を持ち得ませんし、全国でごみ問題に取り組んでいる人たちから協力が得られるはずはありません。
 要するに、昨年10月の志賀町長選は、広域ごみ焼却場を志賀町で推進しようという「推進派」の前町長と、志賀町以外で推進してくれという「地元では反対派」の山岡候補の争いだったというわけです。
 選挙結果は、「地元では反対派」が僅差で「志賀町で推進派」を負かしました。これが、全国ニュースで流れた「産廃反対の新顔」の正体だったというわけです。どちらも「ごみ焼却場は必要」なのですから、ごみ問題に真摯に取り組む人物が登場したのでは決してありません。

迷走する新町長

 町長選の後、地元では所謂「反対派」町長が誕生したことで、産廃問題は決着した、もう心配ないという雰囲気まで出てきましたが、これは早計です。なぜなら、滋賀県が購入した施設用地18ヘクタールはそのまま残っており、県が計画の事業主体である以上、予断は許されないからです。
 「産廃施設撤回」を公約にして町長のイスを射止めた山岡氏ですが、就任最初の12月議会の所信表明で、「大型産廃施設については賛成反対を含め、町民の意思を大事にしたい。住民同意が必要であるのが一番重要なポイント・・・(概意)」と着任早々からさっそくトーンダウンしています。
 困ったことに、山岡町長は当選直後から一廃の焼却場を地元に作りたいと言い出しました。おそらく、筆者や報道機関等から「地域エゴ」の姿勢を批判されたことに対して、産廃はいやだが、家庭から出る一廃の焼却場は必要だ、そう主張することで、「地域エゴ」で反対しているわけではないと主張したかったのかもしれません。しかし、産廃混焼であろうと一廃焼却であろうと、大型ごみ焼却炉の危険性に大きな違いはありません。ましてや、ごみを燃やすという施策の大欠陥を全く無視してしまっては本質的な解決はありません。
 さらに山岡町長は、県の施設用地取得に深く関与してきた町収入役の責任を不問にして留任させようとしたり、全国首長で構成する高速道路建設推進運動に参加したり、とおかしな動きを続けています。収入役留任については、「求める会」HPが批判的に取り上げたことが効いたのか、結局、収入役自身が辞表を再度提出して辞任することになり決着しましたが、山岡町長の迷走がこれからも続いていくのかと思うと、いやはや気が重くなるばかりです。

まやかしのごみ政策

 新町長が選挙前に唱えていた第一の公約は、「産廃計画の撤回、ごみ減量化の推進」でした。でも、この公約の実行を疑わせるような出来事が選挙後すぐに起こりました。
 選挙後の志賀町広報誌に、「志賀町はごみの排出量1%減を目ざす」という話が出ていた件がそれ(「広報しが」11月号)。たった1%とは印刷間違いではないかと目を疑いましたが、ホンマに1%なのです。これでごみを減量した、公約を守ったなどというのはタチの悪い冗談でしょう。
 この件を「求める会」のHPがコメントしたところ、町長支援者たちから、町長就任時に作成された広報誌なので仕方がなかった、という弁解が出てきました。町長が自らの広報誌に目を通していないという怠慢さは横に置いても、自分が目ざすものとかけ離れた数字であれば、すぐに訂正すればいいだけです。
 次の12月の広報誌にはまだ「1%減」と書かれていましたが、04年1月15日発行の広報誌でやっと「1%」が消されました。筆者らの批判にやっと応えたというところでしょうか。でも、同号に載った「謹賀新年」で自らの公約説明を展開しておきながら、「ごみ減量化」の公約には全く触れていないところをみると、真摯には考えていないというべきところでしょう。
 先に挙げた候補者選考過程の大ウソや、当選後のおかしな町長発言や迷走ぶりを見るにつけ、先行きは非常に怪しいと云わざるを得ません。
 

県当局は虎視眈々

 一方、広域大型焼却炉計画を進めてきた滋賀県はどういう対応をとってきたのでしょうか。県は2002年春から、学識経験者や住民代表あわせて17名で構成した「県南部広域処理システム施設整備計画委員会(以下、計画委員会)」を作って議論を進めていました。これからのごみ問題をどう考えていくかではなく、志賀町にどういう方式の焼却炉を作るか、という委員会です。県の計画推進に荷担していた前町長は、この委員会に3名の推進派委員を推薦するとともに、町職員1名を委員として参加させていました。
 ところが、その前町長がリコールされると、「計画委員会」は昨年9月に予定していた会合を延期。國松滋賀県知事は、「志賀町長が誰になろうと不退転の決意で計画を進める」とか、「県の計画に反対するような町長では困る」というようなことを平気で発言していましたが、昨年10月の町長選で前町長が負けてしまったので、そう勝手には動けなくなりました。
 その後、山岡町長就任直後に行われた山岡町長と國松知事との会談において、知事が「計画委員会」の続行を町長に打診したところ、町長は「計画委員会」に反対派住民委員を送ると返答しました。でも、この対応は誤りでした。
 県の「計画委員会」は計画推進のためのものであり、推進派委員が多数を占めている以上、いくら数人の反対派住民委員を送り込んだところで、「住民参加・住民合意」のアリバイ作りに絡み取られたるだけ。多数決では推進決議が出るだけです。志賀町が建設反対の立場をとるのであれば、「計画委員会」の阻止を狙うのが筋というもの。町長の権限を使えば、それが可能であることを彼は全く理解していませんでした。
 町長なら、町長権限で町推薦の委員(3名)の推薦を取り消して辞任させ、町職員の委員1名も辞任させることができます。そうすれば、県が進めようとしている計画に地元志賀町が一切関与していないことになり、「計画委員会」の欺瞞性を明らかにすることができます。いや、県の計画そのものを頓挫させる大きな圧力になるはずです。
 筆者はそのことを「求める会」HPで指摘したり、町議会議員に働きかけたりして、町推薦委員を「計画委員会」に送るなとアピールし続けました。その後、ようやく12月議会で山岡町長は委員の推薦取り消しなどを表明し、今年1月14日の県知事との会談でそのことを伝えました。しかし、滋賀県がそのままスゴスゴと引き下がるはずはありません。公共の論理を振りかざし、あの手この手で計画推進を狙ってくるでしょう。

脱ごみ宣言! 

 筆者や『新しい志賀町を求める会』の考えは、ごみ処理そのものを見直していこう、広域大型焼却場は必要なし、です。産廃焼却場は別の場所で作れなど、もってのほかです。
 「求める会」でいろいろ相談した結果、「地域エゴ」ではごみ問題の解決にならない、原点に立ち戻りごみを作らない運動を行っていこうという話でまとまりました。それが「志賀町・脱ごみ宣言」(昨年10月1日公表)で、2018年までに焼却処理や埋め立て処分されるごみをなくそうという内容です。年限は現在稼働中の一廃焼却場の使用期限を設定しています。
 昨年9月19日に徳島県上勝町が打ち出した「ゼロ・ウェイスト宣言」に触発された面もありますが、上勝町が行政サイドからの宣言であるのに対し、本会の宣言は住民サイドからの提言です。私たちの運動は個人や家庭単位でごみ問題を考え直していこうというもので、既に昨年末に行動目標や行動プランも公表し、私たち独自の歩みを具体的に進めています(本会HP参照)。
 私たちの団体は志賀町ではきわめて少数派ですが、生ごみ・コンポストの実践については、かなり進んだ動きとなっています。既に10年以上も生ごみ・コンポストを実践してきた人が何人もいますし、筆者も5年以上の経験があり、4年前からはミミズを使ったコンポストにも取り組んできました。それらの実績から、可燃ごみは8〜9割がた減量できることもわかってきました。
 これらの経験をふまえた上で、まず、生ごみ・コンポストを志賀町に広げること。でも、ごみをゼロにするのはそれだけでは到底無理があります。「地域エゴ」ではごみ問題の解決には繋がらないことを多くの人に訴えていくとともに、住民全体でごみ問題について考え直しながら、広域大型ごみ行政がいかに奇妙で誤ったものであるか問い直していくつもりです。(2004年1月15日記)

「新しい志賀町を求める会」のHP   http://datugomi.nwshiga.info/ (URLは3/4に変更)