吃音

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読みは、きつおん。要するにどもりのこと。今回紹介する「吃音」(近藤雄生 新潮社 2019)に最近出会うまで、自分が20代まで吃音で困っていたことをすっかり忘れていました。吃音のない人にはわかりにくいかもしれませんが、当人にとっては苦しみいろいろ。ひどい場合には就職を諦めたり、自殺に追い込まれたりすることがあるのをこの本でも紹介しています。今回はどもり、吃音について。

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あぁ、そうだったそうだった、この本のタイトルを見て改めて気づきました。それは自身が吃音だったこと。20代後半いつのまにかなくなったので安心したのか、あるいは黒歴史はなかったことにしてしまったのか、その辺はもうひとつ曖昧です。

私の場合、とくに電話が苦手でした。なぜなら自分の名前をどもってしまうから。なぜそうなるのか、わかりません。わかりませんが、とってもイヤな癖のようなもの。著者の近藤さん自身も私と同じく電話がこわかったそうで、その気持ちがとてもよくわかります。

その彼は吃音障害に悩み、就職を回避して夫婦で海外へ。実は著者の近藤さんを知ったのは、その海外旅行記に関心があったからです。

その近藤さん、海外旅行中ある日突然吃音が治ったとのこと。これまた私も同じで、30歳前にいつのまにか消えていました。



その経験から私はずっと、吃音は自己形成に関わるメンタルな問題だと考えてきましたが、著者は「けっして、精神面だけに起因する問題ではない」とし、最近の脳科学や遺伝子研究にも触れています。実体解明はまだまだ発展途上というべきでしょう。

吃音のことを知らない人は何のことだかちんぷんかんぷんかもしれません。でも、云いたい言葉が口から出てこない、口に出してもたどたどしく、周りの憐れみの表情を感じると余計に落ち込みます。

ひどいケースではイジメや除け者扱いになる実例があり、本の中でもいくつか触れられています。その一例で札幌の看護師さんの自殺が挙げられていますが、その事件後、行政や企業は吃音障害に対する認識を新たにしたのか、最近では就職時の配慮をする所も少しずつ広がっているのは好ましい。

ところで、どもりという用語は最近ではあまり使われなくなってきたそうな。身体的特徴を指す他の言葉からもわかるように、おうおうにして侮蔑的差別的に使われるからでしょう。

でも、これは一種の自主規制。建前論は別にして大事なことは、どんな言葉でも相手がいやがるなら使うのは止めておこう、という配慮を持つことではないでしょうか。元どもりな私はそう考えます。

最後に今吃音で苦しんでいる人へ。研究が進めば医学的な改善策が出てくるかもしれませんし、近藤さんや私のように何かのきっかけで治ることもあるかもしれません。なんとかなると考え深刻にならずにいきましょう。

今吃音がない人へ。どもりの人が話す時に時間がかかるのを少し我慢して下さいませんか。ある種の、そして原因不明な病だと考え、暖かく対応して下さい。改めてそのことを願う次第です。宜しく。