再び ファン・ホッホ

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先月だったか、ラジオから「ファン・ホッホ」という呼称が流れてきました。あれ〜、私と同じことを云う人がいるなぁと感心して聞き込むと、MC(番組アナウンサー)はゴッホという呼び名は生誕地オランダでは使われないと解説していました。その通り、でも日本では知らんふり。

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私が「フィンセント・ファン・ホッホ」という発音を知ったのは1988年にオランダを訪れた時のこと。その経緯は既に本サイトに記した通り。あれから30年、いまだに「フィンセント・フォン・ホッホ」と云っても、何それ?状態ではないでしょうか。

試しに「フィンセント・ファン・ホッホ」をググってみると、なんとまぁ、Wikiを除けば私のサイトがトップに出てきます。どうりで未だに一般性を勝ち得ていないはず。他に話題にする人がいないんかなぁ。有識者はどこに行ったんだ。

先月のラジオはどこの会社が提供していたかというと、プジョー。フランスの自動車会社でした。オランダ語とは「フィンセント・フォン・ホッホ」、英語では・・・、フランス語では・・・と説明していたのが流石というところでしょうか。

念のためにいえば、知らずにゴッホという呼称を使う人をとやかくいうつもりはありません。だって知らないのは恥ずかしいことでも何でもないから。

植田壽藏『ファン・ホッホ』弘文堂アテネ文庫 1950年5月 

厄介なのはコトの経緯が明らかになっても、日本ではずっとゴッホだった、世間がゴッホというから(それでいいんだ)等という理由でほとんどの人が知らん振りをする、その考え方が私にはどうしても引っかかるわけ。右左関係なく、横並び指向で幻想の均一国家たる、この国のイヤらしさを見るようだから、です。

ラジオで聴いたホッホ話にそんなことを改めて考えた次第。