吉岡斉さん逝去

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今朝吉岡さんが亡くなったとのニュースを見ました。驚いたのは年齢が64歳だったこと。反原発の理論展開していた氏を知ったのは私が大学4回生か院生の頃。当時吉岡さんは東大の博士課程だったと記憶していたのでもう少し年上かと思っていたんですが、たった3つ違いだったとは・・・。よく考えると私は1年浪人しているし、氏がストレートなら辻褄があいます。とにもかくにも、ご冥福を祈ります。

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1980年前後といえば、1979年に米国のスリーマイル原発事故が起きた直後で日本でも反原発運動がちょっと盛り上がっていた時期でした。面白いことに、当時の日本共産党関係者はあれはアメリカの話であってソ連の原発では事故は起きない等と珍妙なことを平気で言っていましたが、1986年にチェルノブイリで事故が起きて破綻してしまい、いつのまにか反原発脱原発に宗旨替え(余談でした)。

その当時大学院生だった私はといえば、原発はいらない、いずれ事故が起きる、起きたら破滅 だとシンプルに考えていたので、スリーマイルで事故が起きた時、やっぱりだなと妙に納得し、日本でも起きるだろうからと考え、「原発いらない、関電は原発やめろ」等と毎週のように京都の四条通り界隈をデモっていました。でも、2011年に東電原発事故が起きるまで原発問題を真剣に考える人のいかに少なかったことか。

当時の反原発といえば技術論に傾いた議論が多かった中、吉岡さんの議論は文化文明的側面からのアプローチが底流にあってなかなか新鮮でした。私から言わせれば、氏は体制内改革者。要するにアカデミズムの範囲内であれこれ主張するタイプでしたが、流石に3.11以降は表に出ざるを得なくなったのでしょうか。実年齢よりも老けてみえるのは他人には曰く言い難い苦労があったのか等と思ってしまいます。

訃報を伝える毎日新聞(毎日新聞2018年1月14日)では

福島事故後に発足した市民団体「原子力市民委員会」では座長を務め、政策提言書「原発ゼロ社会への道」をとりまとめるなど脱原発運動をけん引してきた。

と書いていました。事実関係としてはたしかにそうなんだけど私の見立ては逆で、世界的な反原発・脱原発運動の運動の高まりこそが吉岡氏を駆り立て牽引してきたのではないかと思う次第。所詮有識者とか理論家というものはその程度の役割しかないからです。とにもかくにも吉岡氏のご冥福を祈ります。合掌。