神も仏も・・・

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凄まじい豪雨が福岡県や大分県を襲っています。降水が想定の時間降水量50mmを軽く超えてしまう現在、以前は大丈夫だったという話は何の役にも立ちません。いったいどこが次の被害地になるのか全く予断を許さないからです。各人ができることといえば、もし自分の家に大雨がやってきたらどうするのか、前もって心の準備やできる限りの対処をするくらい。

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写真は毎日新聞(2017/7/10)より

学生時代の私の専門は下水道の計画論。でも、水質の方に興味があり量の方は追求できませんでした。ある時京都の熊野神社前が急な雨水でプールのように溢れたのを目撃し、雨水排除の想定雨量50ミリでもアウトになる時代が全国的に来るのではないかと心配し、この件を併せて論文化しようと思っていたら、当時の指導教官から水質の議論とごっちゃになるので止めとけと諭されウヤムヤ。今となっては昔話です。

既に本サイトでも書いたように、大陸の気候が大きく変わってしまい前線の位置もその動きも従来のものとは全く違うものになりました。降雨量は予想以上に多くなり、都市化周辺部の開発などと相まって現行の雨水排除能力を超えてしまいました。これでは被害が起こらない方が不思議です。

行政当局は当然問題に気づいていますが何せ役所のやること。現状把握と問題点の洗い出し、予算化に議会対応、そして実際の工事に延々と時間がかかります。用地買収などが絡むともう進捗予定も立ちません。オリンピックとか派手なものにはゼネコン絡みで大きなお金が動きますが、雨水排除のような地味な地元中心の工事にはなかなかお金がつかないのが現実です。だからこそ尚更自分の身は自分で守るという意識がまず大切。

あなたの家は洪水氾濫地域ですか。山林などの土砂崩れの警戒地域になっていませんか(最近は役所がデータ公開しているので、後で知らなかったとはなかなか言いにくい)。地形にはとくに注意を払う必要があるでしょう。ただ、最近の降雨をみると過去の被害の有無はあまり関係ないので、過去の事例からだけ判断するのは十分ではありません(厄介)。

そんな中、ネットで気になる発言を読みました。曰く、

大災害は、私たちの心から「神」を奪います。それは、特定の宗教信仰を失うという意味ではありません。心の支えを失うという意味です。私たちは、努力は報われる、善人には良いことがあると、何となく感じながら生きています。ところが、大災害はそのような私たちの価値観、人生観を粉々に打ち砕きます。(「神も仏もない」と感じる時:災害と心のケア:九州北部豪雨 碓井真史(新潟青陵大学大学院教授)より抜粋)

たしかにおっしゃる通り。誰しもイヤなことや不幸なことが起きたら神や仏に悪態つきたくなります。でも、日頃から神や仏のことを考えて暮らしているのかどうか。都合の良い時にだけ登場するのが神や仏ではないのか。また、努力云々の下りは私たちの思い込みへの批判だと(少なくとも私には)読めました。

「狂い」のすすめ (集英社新書)

というのも、「努力は報われる」というのは権力者が下々の者に勤労意識を植え付けるために作り出したフィクション(あるいはポエム)ですから、私たちは「努力しても報われないのが現実」だと考えておいた方がいい。また、宗教では必ずしも「善人には良いことがある」とは言いません。

思うに、昨今の気候変化が抜本的に翻せないものである以上、過酷な現実として私たちの生活を襲うことを「あるがままに」受け入れるしかありません。できることといえば、自分なりに準備をしておくこと、そして被害を受けた人たちに思いを馳せること。そんなことをひしひしと感じます。被災地に日常が戻るのを願っています。

(右の本は仏教の本質を知るには良い参考書です。この本を改めて読んで今回の洪水を考えた次第)