勝川

.Travel & Taste

連れ合いの誕生日祝を兼ね、先週末は温泉へ。いつもの山代温泉、あらや滔々庵。源泉のお湯、美味しいお食事、ホスピタリティ溢れる大女将ほかスタッフ良しで、居心地がいいので私ら夫婦の定番。今回はそこで出逢った掛け軸の話。

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あらや滔々庵は前田藩の温泉番として開祖され現在は18代目。その昔、魯山人さんが長逗留した時に宿代代わりに残した作品がいっぱい。貴重な器はよほどの貴賓客でもなかなか出さない・出せないのでしょうが、掛け軸や額などは何気なく館内や部屋に飾っていたりします。

でも、ほとんど、あるいは全く紹介なし。大仰に説明することもないのは奥ゆかしいというか何というか。わかる人にはわかる・・・ということなのでしょうか。こちらからすれば、まるで粋人試験(苦笑)。

私は掛け軸や額はさっぱりですが、雰囲気に惹かれてチェックしてみるとびっくりすること多々。以前この宿で出逢った魯山人の額について紹介しましたが、今回のは勝川雅信の作品です。

部屋に入ると床の間に一幅の掛け軸。最初は古いなぁ程度の印象だったのが、一晩いっしょに過ごすと妙に気になってくるのから不思議なもの。翌朝起きてじっくり眺めると天保14年!。1843年ですから174年前のものです。11月冬至とあるのは旧暦の表示だからでしょう。ここまでは了解。

そこからはちんぷんかんぷん。銘は勝川雅信とありますのでネットで調べると狩野雅信(たかのぶ)らしい。室町から江戸まで将軍家に重用された、あの狩野派最後の絵師の1人でした。ちなみに勝川(しょうせん)は画号です。WiKiによれば、弟子筋に狩野芳崖や橋本雅邦などがいます。

今回出逢った掛け軸、魯山人の作品のようにガツンとくる感じはありません。でも、ホンワカとそこはかとなくイイ雰囲気。最初はそれほどでもなかったのにじわじわと味わい深い雰囲気を感じるのは時間熟成による効果なのでしょうか。勝川は弟子や岡倉天心などに画才がないなどと批判されていたらしいのですが、明治初期の古いものを疎んじる世情からすれば、江戸幕府御用達だった狩野派を否定したい気持ちもありで、話半分に聴いておいた方がいいでしょう。

趣きある宿の掛け軸や生け花は宿の女将さんなどが泊まる客に思いを馳せながら心を込めて誂えるとか。そういった風情の日本旅館はどれくらいこの国に残っているのでしょうか。年の初めに面白いものを見物させていただいた幸運に感謝する次第です。

あらや滔々庵の焼き蟹。これが食べたくて毎年この宿へ。