飛び込み台の撤去はいったい何のため?

プール事故

前回の続き。飛び込みスタートでプール事故が繰り返されるのは、「飛び込んではならないプールにおいて危険な飛び込みが繰り返し行われているから」(『あぶないプール』(1997) 50ページ)。いくら飛び込み台を撤去しても、それ以上に危険な行為を生徒に要求すれば安全対策は帳消しです。都立墨田工業高校の事故は水深の浅さを問題にする前に管理者側に安全性への配慮が欠けていたことを問題にすべきでしょう。

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「飛び込んではならないプール」とはプール水深が浅いプールです。高飛び込み用プールや競泳用プールを除けば学校プールはほとんどがそうでしょう。細かくは別稿を参照していただくとして、そんな危険なプールで飛び込み事故を防ぐにはどうしたらよいのでしょうか。

プールの水深を深くすることは現実的には難しいことを鑑みればできることは限られてきます。20年前に私が提起したのは、「スタート台を撤去するなり、プールでの飛び込みを禁止するなりの方策」(同 54ページ)でした。注意すれば事故は防げるという意見もあるかもしれませんが、防げないケースがときおり生まれ頸椎骨折などの大ケガがあるわけですからソフト面への過度の期待は一般的ではありません。

東京都は都立多摩高校で起きた事故(1999年)を受け、2001年度から飛び込み台を撤去し、水深が浅いプールでの飛び込みを禁止してきたとのことですから、先の私の提案はほぼ実現されていたことになります。それでも事故は起きてしまいました。

というのも、「基準は基準にしか過ぎず原則も原則にしか過ぎないので、それが安全性を保証するわけではない」(同52ページ)からです。「仏造って魂入れず」的なハード面の充実や、現場はしっかりやってね的なお願い規制ではまずい。事故を起こさないための必須条件はプール管理者側に、遊泳者に対する安全性への配慮があるかどうか。当該プールでは飛び込み台がない理由を周知徹底していなかったのでしょうか。

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そもそもなぜ水泳授業があるのか。国が決めた学習指導要領で定められているから、というのが一番の根拠でしょう。もともと軍国主義の下に「国民皆泳」という方針があり、それを実現するものだと指摘した意見がありますが、今だったら健康増進のため等と云いそうです。いずれにしてもカリキュラムで水泳の授業があるというのでしょう。それで問題ないのか。本当に有益な水泳授業とはいったい何なのか、教育現場で論議されることはあるのでしょうか。

私思うに、水の中へ着衣で落ちた時にどうしたらいいのか、木ぎれやペットボトルを活用した浮く方法を教えるなどのプール授業の方がよほどサバイバルに有益な気がしますが、どうでしょう。水深の浅いプールに危険な飛び込みを強制するのではなくもっと違うプール授業はないのでしょうか。繰り返されるプール事故の報道を前にしてそんなことを考えてしまいます。

(上記紹介の本はジャパンマシニスト社の「おそい はやい ひくい たかい」(2000年no.7)。プ−ル危険度の特集号)