熊野寮50周年

.opinion

kumanor大学時代からの友人が紅葉を見たいというのでいっしょに京都へ。 帰り道すがら京大熊野寮へ寄りたいとのこと。寮50周年の記念冊子を受け取るのが目的でした。行ってみると寮の玄関前にはクマの絵にRをつけた垂れ幕用のものが出ていて、何かお祭り状態。帰宅後その記念誌の中に私の名前を見つけ、びっくり。37、8年前のことを思い出してしまいました。


・・・

私自身は熊野寮の寮生ではありませんでした。ただ、大学4回生の時に下宿が火事になり、次の住処を探すまでのツナギで潜り込んだのが、この熊野寮。知り合いの部屋が居心地いいので1ヶ月近くお邪魔したでしょうか。ということで、その先輩と熊野寮には今でも感謝しています。「竹本処分」問題が一段落した後のことだったせいか、ちょっと長閑な時代でした。

その熊野寮がこのたび50周年の記念誌を上梓しました(注)。友人が1セット受け取ったので、いっしょにパラパラ捲っていたところ、私が知っている顔ぶれがチラホラ寄稿しているを見つけました。その内の1人、Hさんがお書きになった中に、あらまぁ、私の名前を見つけてびっくり。

当時大学の授業に幻滅していたHさん曰く、教養課程にあった「自然科学 I」について、

(前略)大阪府をのちに辞めた有田さんとか、熊本学園大のNさんとかが(注:記念誌では実名)、授業を仕切っていた。学生が授業をすることが私には新鮮であった。
「聞いてやる」などというのは、そもそも間違いであった。当時、琵琶湖総合開発計画が持ち上がっていて、それを支える重鎮の教授に対して質問を繰り返し、そのやりとりが「授業」になっていた。まぁ世間知らずで社会を知らない学生の私は、少し感化された。・・・・・
(熊野寮50周年記念誌上巻より引用)

とのこと。ちなみに、Hさんは現在某大学教授。私にとっても「されどわれらが日々」?でしたから、上記のように書いていただき感無量です。ありがとうございました。

それにしても、今年の紅葉は綺麗ですね〜。学生時代は気持ちに余裕がなかったせいか、昔からこんなに綺麗だったんかね〜等と、連れ合いや友人と語り合う一昨日でした。
momiji141130

(注)この記念誌は寮関係者だけの閲覧を前提にしているとのこと。権力関係者にとって得難い情報が含まれていることでしょうから、当然の配慮です。したがって、私に関することだけを触れることにしました。