イロハニホヘトは諸行無常

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諸行無常を生きる (角川oneテーマ21)イロハニホヘト チリヌルヲハカ・・・。 ご存じ、いろは歌。仮名のお勉強かと思っていたら、お釈迦様が亡くなった時に帝釈天が詠んだものだという謂れをつい最近知りました。これまた迂闊。

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いろは歌は空海の作と云われてきましたが、最近は平安中期から鎌倉にかけての時代に作られた今様歌だとされているとのこと。

色は匂えど散りぬるを わが世誰ぞ常ならむ
有為の奥山けふ越えて 浅き夢見じ酔いもせず

歌の文句にある「誰ぞ常ならむ」というのは、みんな無常だよと云っているわけで、平家物語や方丈記の冒頭といっしょ。単なるイロハカルタじゃなさそうです。

ひろさちやさんの『諸行無常を生きる』(角川書店)によると、このいろは歌はお釈迦様が入滅した時に帝釈天が詠んだとされる詩が元になっているとのこと。帝釈天自体が宗教的フィクションなのですが、それはさておき、その歌(偈)とは以下の通り。

諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽

要するに生きている者は死ぬのが定め(法)ということで、いろは歌とは仏教の無常観を詠っているんですね。腑に落ちました。

ところで、無常なるがゆえに苦があるとしたお釈迦様。ひろさんによると、この苦とは苦しみのことではなく、サンスクリット語の「思うがままにならないこと」であり、思い通りにしようとせず、そのまま受け入れろ、というのがお釈迦様の教えだとしています。無常に対して私たちにできることはそれだけでしょう。私もそう思います。

興味深いのは「あきらめ」。ひろさんは、仏教でいうところの「あきらめ」は諦めではなく明らめであるとし、目の前の現実をしっかり肯定することだと説いています。駄洒落じゃありません。国語辞典にもそう載っています、自分でコントロールできるものとできないものとの区別をはっきりさせるのも「明らめ」の1つでしょうね、きっと。

日本国語大辞典より

日本国語大辞典より

2011年3月11日、東北大震災・大津波そして東電原発事故が起き、今もまだ放射性物質による汚染が続いています。原発は論外としても、この国に生まれてきたからには、いずれどこかで地震や津波に遭うかもしれない。その覚悟が私たちにどれほどあるのか。でも、甚大な被害に諦めるのではなく、明らめるべきは何か?

小手先の技術では自然の摂理に逆らえません。巨大な堤防でも完全じゃありません。ましてや、ゲームオーバーになる試行はリスクではなくカタストロフだということを理解できない人たちは原発再稼働などと囃し立て、無常な世界の上にさらに非情な荒廃を上乗せしています。この現実ははたして「思うがままにならないこと」なのでしょうか。否でしょう。

政治が平和な世の中を希求していない現在、私たちにできることは何なのか。ひろさちやさんの議論は大きなヒントになるような気がします。お薦め。

hana1407z